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学長室

熱帯医学研究所75周年に寄せて

2017年11月17日

   熱帯医学研究所(熱研)が2017年3月、創立75周年を迎えました。長崎大学医学部は17年11月に創立160周年を迎えましたが、熱研の歴史も医学部の歴史と無縁ではありません。

   日本の西洋医学教育は、1857年に長崎から始まったわけですが、当時は、感染症研究はまだ黎明期で、ジェンナーが種痘を行って60年、北里柴三郎が血清療法を発見するまでには、まだ33年もかかります。北里が血清療法を発見するのとほぼ同じ時期に熱帯病であるマラリア病原体や媒介蚊が発見され、有名なロンドンの熱帯医学校が開校したのが1899年でした。このように、感染症の病原体が次々と発見され、その治療法が新しく考案されている時代に、我が長崎大学はすでに開学し、現在の熱研の萌芽ともいえる感染症研究がスタートしていたわけです。

   このような長崎医科大学を母体として、1942年、大陸の感染症研究を目的とした東亜風土病研究所が発足しました。45年の原爆で壊滅的な被害を受け、医学部同様存続の危機を迎えましたが、風土病研究所として活動を再開し、67年に熱帯医学研究所と改称後、現在では原爆後障害医療研究所と並ぶ、長崎大学の2枚看板として活躍しています。

   私の専門分野は感染症内科ですが、先代の教授である原耕平先生の時代から、熱研と強い関係を持っていました。特に、63年のケニアの独立後の66年から10年間継続されたJICA(国際協力機構)の医療協力では、リフトバレー州ナクルという町の州立病院に医学部と熱研の合同診療チームが結成され、映画「風に立つライオン」のモデルとなった外科の柴田紘一郎医師をはじめ多くの若手医師が奮闘され、その後も医学部と熱研の継続的な努力で、現在の熱研アジア・アフリカ感染症研究施設ケニアプロジェクト拠点へと引き継がれてきました。

   そして、今や長崎大学と熱研は、次の新しい課題に挑戦しています。それはBSL-4(高度安全実験)施設の開設と運用です。日本に絶対に必要であるにも関わらず運用できていない研究用の施設を長崎大学に設置・運用し、グローバルな感染症対策に研究開発面と教育面から貢献することは、世界の保健衛生に対する日本の最も重要な使命であると考えています。

   75周年という節目を迎えた熱帯医学研究所の今後のさらなる発展を期待しています。