大学案内Guidance
2026年03月25日
本日、晴れて本学を巣立つ皆さん、ご卒業・修了誠におめでとうございます。
これまでの学生生活において、学業に、研究に、課外活動にと、皆さんが積み重ねてこられた努力に対し、心から敬意を表します。
また、その歩みを支えてこられたご家族、ご友人、そして指導教員の皆様にも、深く感謝申し上げます。
長崎大学は、国際交流の窓口として世界と向き合ってきた長崎の地に根ざし、異なる文化や価値観が交差する中で、常に「現実の課題」と向き合ってきた大学です。
原爆、感染症、環境、海洋、離島、人口減少――。ここ長崎は、世界が直面する課題を、いち早く、そして重層的に経験してきた地域でもあります。
皆さんは、この長崎という場所で、単に知識を学ぶだけでなく、簡単には答えの出ない問いに向き合い、考え続ける姿勢そのものを身につけてきたはずです。
さて、劇作家シェイクスピアは、「人生は選択の連続である」という趣旨の言葉を残しています。皆さんはこれから、これまで以上に多くの判断と決断を迫られる社会に出ていきます。社会は複雑化・多様化し、情報はあふれ、何が正解かが見えにくい時代です。
スピード感を持った選択を余儀なくされ、その一つひとつの決断に、これまで以上の重圧を感じることもあるでしょう。
先日、タクシーに乗ったとき、運転手の方と少しお話をする機会がありました。まだ30代の方でしたが、これまでに自衛隊や半導体関連企業など、いくつかの仕事を経験されてきたそうです。そして今はタクシーの運転手として働きながら、新しいことにも挑戦していると話してくれました。
その話を聞きながら、私は改めて、人の人生というものは必ずしも一直線ではなく、さまざまな経験を重ねながら形づくられていくものだと感じました。
どの経験も無駄ではなく、そこで考え、迷い、選択してきた積み重ねが、その人の判断力や人間としての厚みをつくっていくのだと思います。
そうした時代の中で、昨今、さまざまな判断をAIに委ねようとする動きが広がっています。ChatGPTをはじめとするAIを駆使して、意思決定の判断材料として活用しているという話や、ソフトウエアを開発したという話を耳にすることも、今や珍しくありません。
AIは既に実社会における知的インフラであり、学校の先生や両親の助言よりも、より的確で心に響くと感じる人がいることも事実です。また、AIには、その基盤となるデータの信頼性が極めて重要であることも、広く知られています。
私はAI自体を否定するつもりはありません。しかし卒業する皆さんに、これだけはぜひ覚えておいてほしいことがあります。AIは、判断の「候補」を示す存在であっても、最終的な決断と、その結果に対する責任を引き受けるのは、常に人間であるということです。
AIが示す答えは一瞬です。躊躇はありません。
その速さが、時に良い方向へ私たちを導くこともありますが、必ずしもそうとは限りません。
ChatGPTとの対話は、的確で安心できる回答を与えてくれるかもしれません。
そこには、挫折や不安をできるだけ排除し、整えられた答えが用意されています。
しかし、長崎の歴史が示してきたように、社会の進歩は、常に迷い、葛藤し、考え抜いた人間の決断によって形づくられてきました。
ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは、人間の意思決定には二つの仕組みがあると述べています。一つは、直感的で感情に基づき、無意識のうちに素早く働く思考です。これは「ファスト・システム」と呼ばれています。もう一つは、時間をかけて考え、論理的に判断し、努力を要する思考で、「スロー・システム」と呼ばれています。
私たちは普段、物事を判断するとき、その多くを直感的な「ファスト・システム」に任せてしまい、じっくり考える「スロー・システム」は、意外と使っていないと言われています。
いま私たちが使っているAIは、この「速い判断」を極めて得意としていますが、立ち止まって迷い、考え抜き、その結果に責任を持つことは、人間にしかできません。
AIの対極にあるものとして、オリンピックを例に挙げたいと思います。
先日のミラノ・コルティナオリンピックでも、人間の持つ肉体と判断力の極限の勝負は、多くの人の心を打ち、深い感動を与えてくれました。
しかし、私たちが本当に心を打たれる理由は、競技の一瞬の勝敗そのものではありません。その背後にある、何千時間にも及ぶ熟慮、努力、失敗、修正――すなわち当事者の経験してきた「スロー・システム」が、私たちに伝わってくるからです。
長崎大学での学びも、まさにこの「スロー・システム」を鍛える時間であったはずです。
現場を見つめ、考え、迷い、時に立ち止まりながら前に進む。
その積み重ねこそが、物事の本質を見抜く力を育てます。
社会は、安易な正解ではなく、自ら考え抜き、判断し、その責任を引き受ける覚悟を、皆さんに求めています。
卒業とは、学びの終わりではありません。それは、新たな自己研鑽の旅の始まりです。
皆さんがこれから歩む未来は、決して決められた一本道ではありません。
迷い、立ち止まり、考え抜いた末に下した決断こそが、皆さん自身の人生を形づくっていきます。
長崎は、出島の時代から常に世界と向き合い、多様な価値観の中で新しい知と文化を育んできた場所です。
その長崎で学んだ皆さんが、これから社会のさまざまな場面で、自ら考え、判断し、静かな責任感をもって行動する人となることを、私は心から願っています。
一人ひとりが、長崎大学で培った知と姿勢を胸に、それぞれの場所で信頼される存在となることを期待しています。
そしていつの日か、自らの経験をもって次の世代を支える人となってください。
皆さんの未来が、より豊かで実り多いものとなることを祈念し、私からの告辞といたします。
本日は、誠におめでとうございます。
| 長崎大学学長 永安 武 |
