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学長室

WHOと長崎大学との共催による 国際セミナーにおける学長挨拶

2005年09月09日


広島と長崎にとって忘れ得ぬ日あの日からちょうど60年の歳月が流れました。

昭和20年8月9日午前11時2分、2発目の原爆によって長崎はほとんど壊滅状態となりました。灼熱と爆風が市民を無差別に殺戮したのです。 75,000名余りが亡くなり、70,000名が負傷しました。かろうじて生き延びた人たちは、今もなお原爆による後障害と精神的苦痛を強いられています。

長崎大学医学部の前身である長崎医科大学は世界で唯一、原爆によって壊滅させられた医科大学で、900名余りの教職員と学生が一瞬のうちに命を奪われました。しかし、このような悲惨な状況下においても、生き残った教職員と学生は、医療施設や放射線障害の正確な知識も乏しい中、懸命に生存者の治療に当たりました。第二次世界大戦後、長崎大学は再建され、また1963年には原爆の後障害を明らかにし、被爆者医療の主導的役割を果たすため、新たに原爆後障害医療研究施設が設立されました。更に、WHO 協力センターの一つとして10年以上に亘り「チェルノブイリ組織バンクプロジェクト」、「遠隔医療診断支援プロジェクト」、「緊急被ばく医療プロジェクト」といった国際共同プロジェクトにより、チェルノブイリやセミパラチンスクなどの世界のヒバクシャ医療に貢献してきました。平成14年には文部科学省からヒバクシャ医療などの国際的な医療活動の功績が認められ、放射線医療の分野で21世紀COEの一つに選ばれました。本日のセミナーはWHOと長崎大学との共催によるもので、国際的な放射線医学研究とヒバクシャ医療支援を推進し、放射線生命科学のネットワークを世界規模で発展させることを目的としています。

長崎大学の学長として、ここにお集まりのすべての皆様が本日の科学的な議論を通して核兵器のない平和な世界の重要性と、広島と長崎の被爆者における長期的な放射線影響調査の必要性を認識してくださることを期待しています。

最後になりましたが、広島と長崎の辛苦の経験と貴重な知識が、放射線防護とリスク評価の一層の進展に役立つことを祈念して、私の挨拶に代えさせていただきます。


(H17.9.9,スイス・ジュネーブ)

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