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学長室

平成19年度長崎大学入学式 学長告辞

2007年04月06日

私は長崎大学長の齋藤寛です。

長崎大学創基150年となるこの記念すべき2007年に学部入学の1,699名,大学院入学の541名,総計2,240名の皆さん,長崎大学へようこそ。

長崎大学150年の歴史の名において,皆さんが全国に709ある大学のなかから長崎大学を選んで入学して下さったことに感謝し,そして心から歓迎いたします。

皆さんは,300年もの昔から知られている「笈を負うて長崎に遊学する」という言葉を知っていますか?

「笈」という文字は「たけかんむり」の下に「およぶ」という文字を書きます。「笈」とは竹で編んだ籠のことで,昔の旅人はこれを背負って旅をしました。

1639年以来の鎖国時代,わが国唯一の世界に開かれた窓であった長崎は学問を目指す若者の憧れの地であり,多くの俊秀が長崎に集まったことから,この言葉が生まれました。

全国から若き俊秀が長崎に集まり,シーボルトなどオランダ出島商館医師や,吉雄耕牛らの蘭方医,また志筑忠雄らのオランダ通事に医学,化学,植物学,天文学などを学んだのです。長崎は「昔から町全体が大学」でした。高野長英,高杉晋作,坂本龍馬,福沢諭吉,皆,長崎で学びました。彼らは長崎大学OBというべき存在であり,皆さんはその後輩なのです。

江戸時代からの「長崎は町全体が大学であった」という歴史的背景の中で,長崎はわが国のなかで高等教育機関の整備がもっとも進んだ都市の一つとなりました。

1857(安政4)年,「医学伝習所」がオランダ軍医ポンペにより設立されました。現在の長崎大学医学部へと繋がります。つまり,長崎大学は今年創基150年の,日本で最も長い歴史を有する国立大学の一つとなります。
1874(明治7)年,「小学校教則講習所」が設立されました。現在の教育学部です。一昨年,創立130周年を祝いました。
1890(明治23)年,「第五高等中学校医学部薬学科」が設立され,現在の薬学部へと繋がります。創立117年となります。
1905(明治38)年,「長崎高等商業学校」が設立されました。東京,神戸に次いで3番目に設置された学校であり,現在の経済学部です。一昨年創立100周年記念行事が行われました。
1921(大正10)年,「実業補修学校教員養成所水産科」が設立されました。現在の水産学部です。
1942(昭和17)年,長崎医科大学東亜風土病研究所設置,現在の熱帯医学研究所です。
この長崎の地において,それぞれ長い歴史を刻んできた以上の高等教育研究機関が一緒になって1949(昭和24)年に長崎大学が誕生しました。6つの清流が合して大河「長崎大学」となったのです。

その後さらに,1966(昭和41)年に「工学部」,1979(昭和54)に「歯学部」,1997(平成9)年に「環境科学部」,2002(平成14)年に「医学部保健学科」が設置され,さらなる大河へと発達して,8学部1研究所,学生1万人,教職員2,200人からなる質量ともにわが国トップレベルの総合大学となりました。

2006(平成18)年4月に新設された「熱帯医学修士課程」は熱帯感染症研究のわが国唯一の大学院であり,講義はすべて英語で行われます。

このように長崎大学は単に「古い大学」というだけでなく,常に時代の要請に応えて学部学科の再編新設にチャレンジしてきた「古くて新しい,個性的で特色ある大学」なのです。

さて,長崎大学は3年前の平成16年4月に「国立大学法人長崎大学」として新たなスタートを切りました。このとき本学は目標として「世界にとって不可欠な“知の情報発信拠点”であり続けること」を掲げました。

先ほど,本学OBの種口敬明さん指揮による長崎大学管弦楽団,ならびに長崎大学ロマンツアー合唱団による長崎大学学歌の演奏がありました。皆さんの入学を祝って先輩の彼らが心を込めて一生懸命に歌い,演奏したのです。皆さん,感激したでしょう?

若者の一生懸命な姿は見る人を感動させ,世界に明るい将来があることを予感させます。皆さんの一生懸命な姿こそが長崎大学に対する社会の評価を高め,長崎大学の名前を不朽にする長崎大学からのもっとも説得力のある「知の情報発信」となるのです。

どうか何事にも「一生懸命」であって下さい。自発的に行動する皆さんを長崎大学は全力をあげて支援します。

いま,文教キャンパスでは教育学部,工学部,水産学部,附属学校の校舎の全面改築工事が始まろうとしています。長崎大学の築30年以上のいわゆる老朽化校舎は全体の65%に及びます。全国の国立大学の築30年以上の老朽化校舎の平均値が65%ですから,長崎大学がとくに老朽化校舎が多いということではありません。問題は老朽化校舎の改築改修率の低さです。長崎大学はわずか18%であり,改築改修率の全国平均68%の足元にも及びません。

ですから,長崎大学の学生諸君はわが国でもっとも劣悪な環境で勉強してきたといって過言ではありません。本当に申し訳なかったと思っています。この改築改修率の低さは,過去10数年にわたる大学キャンパス移転を巡る学内対立抗争があり,意見統一ができるまで文部科学省から改築改修が認められなかったことによります。

5年前にようやく現地再開発と決まり,このたび文教キャンパスの全面改築が来年3月までに実現します。また,坂本キャンパスの大学病院も築30年以上となり老朽化に苦しんでいましたが,3年前に着工し200億円を投じた12階建ての新病棟が,この11月に竣工します。

これを長崎大学150年の歴史のなかで見ると次のようになります。

第1期は1857年の医学伝習所の設置とその後の「始まりの時代」です。第2期は1945年の原爆により破壊されつくした長崎に長崎大学が誕生し,今日に到るまでの「再生の時代」です。そして,第3期は文教と坂本の両キャンパスの全面的再整備をバネにした「21世紀飛躍の時代」です。

皆さんは長崎大学の21世紀飛躍の時代を担ってもらうべく,「長崎大学150年の歴史」が選んだ人々です。別の言葉でいえば,皆さんは21世紀の長崎大学の将来を託すべき 「長崎大学150年の歴史の申し子」なのです。「申し子」とは神仏,あるいは眼に見えない大きな力に願って授かった子のことをいいます。まさに文字通り,“Without You, Without Nagasaki University in the Future” です。

最後にひとつ皆さんにお願いがあります。1945(昭和20)年8月9日の原爆により,現在の教育学部の前身の長崎師範学校は54名,経済学部の前身である長崎経済専門学校は27名,水産学部の前身である長崎青年師範学校は1名,そして,爆心地にもっとも近い位置にあった医学部,薬学部の前身の長崎医科大学および附属薬学専門部は897名もの学生と教職員を喪いました。このような惨禍を経験した大学は世界にありません。

いま,桜が満開の文教キャンパスや医学部や附属病院のある坂本キャンパスで,62年前に約1,000人もの先輩が原爆の犠牲になったのです。長崎大学キャンパスは原爆で生命を落とした先輩たちが眠っている奥津城なのです。たばこのポイ捨て,紙くずやペットボトルの投げ捨てなどは先輩を冒涜する実に恥ずべき行為です。決してあってはならないことです。ゴミが落ちていたらそっと拾って片付けて下さい。

このことはキャンパスの外でも同じであることはおわかりですね? たとえば,皆さんが1人で暮らし始めた長崎の町内で「ごみ出し」のルールを無視して「ごみ」を出すことは,何百年もの昔から「長崎遊学の若者」を暖かく迎えて下さった長崎の人々を「あの若者がこんな心無い振る舞いをするのか」と悲しませます。また,そのような振る舞いはこれまで皆さんを育て,生活をつましくして皆さんの長崎遊学を支えて下さるご家族の名誉を傷つけることになります。

原爆の犠牲になった先輩たちは生きておられたらきっとすばらしい仕事をなさったに違いありません。先輩たちの分までよく生き,よく勉強するのが皆さん,私たち教職員,長崎大学OB,すなわち長崎大学人の責務です。どうかこのことを忘れないで下さい。

長崎大学の21世紀のあたらしい歴史を創ってくれるに違いない,若くて聡明な皆さんの入学を心から歓迎し,感謝します。

以上を持って学長告辞とします。

長崎大学長   齋 藤   寛

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