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東日本大震災から5年:長崎大学の決意

 過ぎてしまえば、時の流れを本当に速く感じるものです。あの日から、もう5年が経過しようとしています。
 平成23年3月11日。午前中の文部科学省での会議に出席した後の長崎への帰路の羽田空港で強烈な揺れに襲われました。東日本大震災の始まりです。夜半になって長崎にたどり着いた私は、テレビに映し出される被災地の映像に、激しい衝撃を受けました。巨大津波で無に帰した太平洋沿岸の被災地の映像は、長崎に住む私たちの心に刷り込まれたあの原子野の光景そのものだったのです。そして、福島第一原子力発電所の事故が続きました。その時点で「3.11」は、長崎の人間にとって、他人事ではなくなったのです。  その後の、長崎大学の初期支援活動は、迅速性そして質と量、いずれをとっても全国のなかで際立っていたと思います。2日後の13日には、大学病院や熱帯医学研究所の教職員を中心とした医療の専門家チームが福島県と岩手県で医療支援活動を展開しました。14日には、水産学部の練習船「長崎丸」が緊急出向し、緊急援助物資を福島県小名浜港と岩手県宮古港にいち早く届けました。
 とりわけ、地震と津波に加えて原発事故という困難を抱えた福島県での活動は、長崎大学の総力をあげたものとなりました。原爆被爆からの復興の経験と、ヒバク影響研究の蓄積を福島に役立ててほしいと考えました。震災から1週間後には、本学の2名の教授が福島県知事により「放射線健康リスク管理アドバイザー」に任命され、危機管理のリーダーとして決定的に重要な役割を果たしました。その後、県民健康調査活動を福島県立医大とともに担い、いち早く帰村宣言をした川内村には支援拠点を構築するなど、長崎大学と福島県立医科大学、福島県との協働は拡大・継続し、現在に至っています。
 大震災から5年、被災地はいまだ癒えることのない悲しみと困難の只中にあります。しかし、いま、被災地は一時の混乱を脱し、復興と未来の創造に向けて、新たな段階に大きく足を踏み出したように感じています。その後何度か訪れた福島でも、県内のいたる所で未来の創造に向けた胎動が始まり、訪れるたびに活気が戻っている様子に感動を覚えます。長崎大学は、これまで培ってきた絆をさらに強化し、福島を中心に被災地の未来創造の重要な一翼を担っていくべく決意を固めています。
 世界が大きく変容するなか、東日本大震災とその後のプロセスは、改めて私たち日本人に、この国が直面する課題の大きさを突き付けました。この国の社会システムには、危機管理という観点から、決定的な脆弱性が存在することが判りました。首都圏一極に集中する意思決定システムだけでは、被災現場に寄り添うことはできません。また、科学の無力さや内包する不確実性にも思いが至りました。それは、社会の科学への不信感も醸成しました。しかし、科学が果たすべき役割を果たせない社会には進歩はありません。
 長崎大学は、地域に責任を持ち、国や地球の持続的発展に貢献すべきアカデミアとして、東日本大震災が突き付けた課題と正面から向き合い続けます。


長崎大学長
片峰 茂

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