ホーム > 福島県での教育・支援・研究活動 > 東日本大震災から5年:長崎大学の決意 > 2011年3月を振り返って-当時の状況と学んだこと
東日本大震災を教訓として、不測の事態に備える必要性を私たちは自覚しました。当時「想定外」とされたことは今では想定の範囲となり、国も自治体も病院も企業もあらゆる組織において危機意識を持った管理体制は不可欠になりました。その1つに原子力災害への備えがあります。
原子力災害への新たな支援体制を確立するため、長崎大学は今年4月、「高度被ばく医療支援センター」および「原子力災害医療・総合支援センター」を長崎大学病院内に設置します。広島大学や放医研など国内5ヵ所に開設された両センターは災害発生地域では対応できない専門的な医療や支援にあたる重要な任務を担います。前者は@放射性物質による汚染や、被ばくまたはその疑いのある傷病者に対する診療A線量評価B放射線防護を含めた医療支援を実施します。一方、後者は@原子力災害医療派遣チームの派遣調整A地域のネットワークの構築を支援します。
長崎大学病院にはこれまで蓄積してきた放射線医療のノウハウがあります。1945年8月9日以降の被爆者医療をはじめ、チェルノブイリ原発事故の住民らの健康調査、東京電力福島第一原発事故の作業員らに対する緊急被ばく医療対応など、その経験の1つ1つが今後の長崎大学病院が担うべき役割を示唆しています。
本院に設置するセンターは本県のほかに、福岡、佐賀、鹿児島を担当領域とし、各地域の住民の避難、被ばく医療体制を支援し、さらに原発内での事故が発生した場合は作業員の救急医療に対応します。これは原発稼働に伴う事故だけを対象としたものではありません。原発廃炉に伴う核物質の除去作業の際にも作業員の被ばくは十分懸念されるので、平時より体制を確立させておくことが必要です。長崎大学病院はあらゆる事態を想定して、関係自治体の協力の下、担当地域の皆さんの安全を確保する責任を果たしたいと思っています。
最後に、東日本大震災により命を落とされた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を願っています。