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学長室

令和4年入学式学長告辞

2022年04月04日

入学生の皆さん、長崎大学への入学、誠におめでとう御座います。また、入学生諸君を見守られてこられた保護者の皆様・学校関係者の皆様にも心よりお祝い申し上げます。学域、研究科、学部への新入生2171人の皆さんに長崎大学の全教職員を代表して、歓迎申し上げます。

 さて、2年前を思い出してください。
2020年1月16日、日本で初めての新型コロナウイルス感染者が発表されました。おそらくここにいる多くの人が高校1年生だったでしょう。それから、春夏の甲子園が中止、多くの部活動が停止しました。2年生の春には、緊急事態宣言の発令に伴い、休校になった学校も多く、楽しみにしていた修学旅行もなくなりました。3年生の受験を控えた頃は、オミクロン株の感染拡大がありました。このような、多くの苦難を乗り越えて、皆さんはここ、長崎へやってきました。本当に、頑張りましたね。
あらためて、君たちの忍耐と努力を称賛したいと思います。

 コロナ禍はまだ続いていますが、ここで、100年という単位で、歴史を考えてみましょう。
私は、医師で呼吸器内科医、感染症を専門としておりますので、感染症の歴史を振り返ります。
 

 約100年前の1918年にスペイン風邪が世界的に流行し、当時の人口の約半数が感染し、5000万人程度が死亡したと言われています。スペイン風邪とは、インフルエンザなのですが、人類はワクチンを開発し、現在インフルエンザは、撲滅に至っておりませんが、制御はされています。
 さらに、その100年前、1823年に、シーボルトが長崎にやってきました。
シーボルトは、日本に初めて近代医学をもたらした人と言われていますが、実は、最初に天然痘に対するワクチンの原型である牛痘を持ち込んだ人なのです。
 天然痘はウイルス性疾患であり、コロナと同様に飛沫感染で伝播しました。ただ、致死率が驚くほど高く、江戸末期にも日本中に広がり多くの人が亡くなりました。これも、シーボルトの弟子である佐賀藩医・楢林宗建らが、人から人に接種する種痘という方法を広めて日本の天然痘患者を減らしてゆきました。
 私がまだ子供の頃の1958年でさえ、世界33ヵ国に天然痘は常在し、患者は年間2000万人、死亡数は400万人と言われていました。WHOによる、ワクチンを接種させる「サーベイランスと封じ込め」戦略で、1977年のソマリアでの患者報告を最後に地球上から天然痘は撲滅されました。日本でも1976年までは、天然痘のワクチン接種が義務だったのです。今、新型コロナウイルスに対する第3回目のワクチン接種が話題となっておりますが、歴史的な視点からみても、重要性がわかるでしょう。

 このように100年という単位で、物事を俯瞰的に見るとまた違った世界が拡がります。
なぜ、私が今日、100年にこだわるかというと、君たちの半数程度は、100才まで生きると予想されているからです。国連の推計によると、2007年に日本で生まれたこどもの半分は、107年以上生きるとされています。可能性として、君たちの多くが22世紀を生き、中には2122年を見る人がいるかもしれません。

 リンダ・グラットンらの著書「LIFE SHIFT(100年時代の人生戦略)」には、これまでの生き方では、通用しない時代が来ていると述べられています。これまでの生き方とは、最初に学校教育を受け、次に仕事をして、最後に引退して余生を過ごすという、典型的な3つのステージです。しかし、このパターンだけでは、100年を生きてゆけない、と述べています。私も同意します。100年を生きてゆくためには、従来の考え方に縛られず、柔軟な発想を持ち多様な生き方をすることが求められるでしょう。その基盤を身につける場所が大学なのです。

 ここにいる新入生の皆さんの63%は長崎県外から長崎大学に入学しています。
期待と不安の中、長崎という地で今日から学びを始めます。このwithコロナの時代に大学の講義はあるときはオンラインになり、また対面講義とのハイブリッドになり、さらには大学でのクラブ活動やボランティア活動を制限され、アルバイトもなかなか見つからない等、まだまだコロナを意識した生活が続くものと予想されます。しかし、100年を生き抜く、君たち世代は、それには負けないと思います。我々も、コロナ禍で生き抜くノウハウもたくさん獲得しました。
 コロナ禍ではありますが、大学では、単なる座学による講義だけでなく、感染対策をしながら、実習や実験、ゼミなどにより課題に挑戦する能力を磨くことができます。自分のやりたい事を通して、例えばスポーツや文化活動など、またボランティア活動などで、仲間を探し、楽しみや悩みを共有してください。
 私も、大学1年の時に、軟式テニス部に入り、いろんなことを経験しました。楽しかったです。大学では、仲間や先輩、指導教員との絆を通して、学ぶ楽しさに目覚めて下さい。自分と意見の異なる人と交わり、新しい世界へ踏み込んでください。大学での学びを仲間とともに掴んで下さい。
 それらは、皆さんの財産となります。目に見えない無形の財産と呼ばれるものですが、100年を生きる人生の中で、この大学生時代に築いたネットワークが大きな影響を与えるでしょう。学問領域を超えた、人種を超えた、様々な交流から、皆さんのアイデアが拡がり、能力が高まるでしょう。その仲間との交流が、皆さんが危機に陥った時に、救いとなるはずです。

 この旗をみてください。
大きな海に向かう船です。これが、長崎大学のシンボルマークです。
ご存じのように、長崎は港街です。鎖国時代、唯一のオープンシティーとして、外国から多様な人々を受けいれて、柔軟に対応した街です。昨年は、開港450周年でした。長い特有の歴史があるために、ユネスコに認定された世界遺産が2種類、市内だけでも11か所あります。軍艦島や大浦天主堂等、ぜひ、学生時代に回って、長崎の先人たちが、柔軟に文化を受けいれた精神に触れてみてください。
 また、長崎大学は、世界で唯一の原爆の被ばくを受けた医科大学を持つ総合大学です。学生と教職員、おおよそ900名が犠牲になりました。1945年8月9日11時2分のことです。これも、長崎大学学生ならば、覚えておいて欲しいことです。1か月前の2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し戦争が起こっていることはご存じでしょう。長崎大学の学生としては、ぜひ、この機会に世界の平和について考えて頂きたいと思います。
 このロシアによる侵略に対し、長崎大学では、2度にわたり抗議の声明を発表するとともに、抗議ばかりでなく、人道的な立場から、ウクライナの学生たちに学びの場を提供するという支援も開始することにしました。学び続ける志を持った若者の存在そのものが国の未来を支える礎になるからです。学び続けること、知の力を蓄えることの大切さと強さを長崎大学は過去の経験から知っています。ですから、この戦争で学びの場を奪われたウクライナの学生に学び続ける場を提供できないかと考えたのです。

 さて、冒頭の100年単位で、物事を見るというテーマに戻ります。
今回のコロナのパンデミックは、どうして起こったのでしょうか。人間の活動が際限なく広がり、今まで接触のなかった動物にいたウイルスがとうとう人に伝播し、また交通機関の発達により、瞬く間に世界中に拡散していきました。ここ100年、森林伐採が進み、化石燃料の消費が増大し、温室効果ガスが爆発的に増え、地球の温暖化が加速しています。そのため、洪水や旱魃などの自然災害も急速に増えています。
 北極や南極の氷が溶け出し、海水面が上昇し、洪水のリスクが高まります。また、海水の酸性化も進み、また、プラスチックゴミの問題も大きく、多くの生物が影響を受け、生物多様性も危機に瀕しています。今後世界では人口増加により食糧危機とともに、相矛盾するようなフードロスの問題、また先進国では人口の高齢化による社会活動の維持も困難な問題として上がっています。
 様々な問題はありますが、本学は、<地球の健康(プラネタリーヘルス)に貢献する長崎大学>をスローガンに掲げています。100年を生き抜く君たち世代では、避けては通れないテーマです。これも、4年間でじっくりと考えて欲しいと思います。

 最後に、もう一度、この旗を見てください。
君たちは、今日から、歴史ある長崎大学丸という大きな船の乗組員のひとりになりました。
我々の仲間になったのです。だけど、のんのんと日々を過ごすことはできません。安心はできません。前途は多難です。これから、君たちが生きる時代には、より大きな荒波が襲いかかるでしょう。しかし、この船に乗る君の仲間と力を合わせ、臨機応変に対処することで、きっと、100年後も船は、前に進んでいるはずです。なぜならば、長崎大学丸は、多くの苦難を乗り越えて長い歴史を進んでいるからです。
 さあ、今日から、青空に君の帆を高くあげて、意気揚々と進んでください。


 皆さん、本日は、入学おめでとう。
そして、長崎大学丸へ、ようこそ。これから、一緒に、頑張りましょう。

長崎大学長    河野 茂