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学長室

平成18年度長崎大学入学式 学長告辞

2006年04月07日

皆さん,私は長崎大学長の齋藤寛です。学部入学者1,734人,大学院入学者520人,総計2,254人の皆さん,長崎大学へようこそ。そして,皆さんが全国に714ある大学のなかから長崎大学を選んで入学してくれたことに感謝します。長崎大学在学生9,300人,教職員 2,200人,卒業生64,000人の全員が皆さんの入学を心から歓迎します。

江戸の昔から広く知られている言葉に「笈を負うて長崎に遊学する」があります。「笈」という文字は「たけかんむり」に「及」という文字を書きます。竹で編んだ籠のことで,昔はこれに荷物を入れて背負って旅をしました。

17世紀はじめ以来の鎖国時代にわが国唯一の世界に開かれた窓であった長崎は学問を目指す若者の憧れの地であり,多くの俊秀が長崎に集まりましたから,この言葉が生まれました。今度の入学で皆さんの多くもサックを背負って長崎に来たでしょう,それと同じですね。


全国から若き俊秀が長崎に集まり,シーボルト先生などオランダ出島商館の医師やオランダ通事に学んだのです。長崎ははるか昔から町そのものが大学でした。高野長英,勝海舟,高杉晋作,坂本龍馬,福沢諭吉,皆,長崎で学びました。皆さんは彼らの後輩なのです。

このような背景の中で,長崎は,明治維新後,わが国のなかで高等教育機関の整備がもっとも進んだ都市の一つとなりました。
1857(安政4)年,「医学伝習所」が設立されました。現在の長崎大学医学部へと繋がります。わが医学部は日本で一番長い歴史を持つ国立大学医学部です。
1874(明治7)年,「小学教則講習所」が設立されました。後の長崎師範学校であり,現在の長崎大学教育学部であります。昨年,創立130周年を祝いました。
1890(明治23)年,「第五高等中学校医学部薬学科」が設立されました。現在の薬学部へと繋がります。去年は創立115年でした。
1905(明治38)年,「長崎高等商業学校」が設立されました。東京,神戸に次いで3番目に設置された学校であり,現在の経済学部です。昨年,創立100周年記念行事が行われました。
1921(大正10)年,「長崎県実業補修学校教員養成所水産科」が設立されました。現在の水産学部です。

この長崎の地において,それぞれ長い歴史を刻んできた以上の5つの高等教育機関が包摂されて,1949(昭和24)年 5月,「学芸学部」,「経済学部」,「医学部」,「薬学部」,「水産学部」の5学部を擁する長崎大学が設置されました。5つの清流が合して大河「長崎大学」となったのです。

その後さらに,1966(昭和41)年に「工学部」,1979(昭和54)に「歯学部」,1997(平成9)年に「環境科学部」,2002(平成14)年に「医学部保健学科」が新たに設置され,さらなる大河へと発達して、8学部1研究所,学生総数1万人,教職員2200 人からなる質量ともにわが国トップレベルの総合大学に発展したのです。

とくに本年4月1日に新設された大学院医歯薬学総合研究科の「保健学修士課程」,ならびにわが国唯一の「熱帯医学修士課程」にいずれも第1回生を迎えました。長崎大学に新たな歴史の1ページを刻むものであり,喜びに耐えません。

長崎大学は2年前の平成16年4月1日に「国立大学法人長崎大学」として新たなスタートを切りました。このとき本学は目標として「世界にとって不可欠な“知の情報発信拠点”であり続けること」を掲げました。

これを具体的にいいますと
1)長崎大学は教育,研究の両面で世界のトップレベルを目指す
2)「学生顧客主義」の標語の下,教養教育,学部専門教育,大学院教育の充実を図るとともに,学生生活の全般にわたって支援体制を一段と強化する
と要約されます。

「学生顧客主義」といっても皆さんを甘やかすことではありません。長崎大学で学ぶ間に,皆さんがほかのいかなる大学で学ぶよりも大きな付加価値を付けて社会に送り出すという長崎大学の決意表明なのです。

長崎大学は個性的で魅力あふれる大学になれるか? 答えはもちろん「イエス」です。若いことはすばらしいことです。皆さんの存在そのものが祝福されています。そのような人たちが入学し,活躍するとき,長崎大学が個性的に,そして魅力的にならないわけがありません。

私が大学に入学したのは1956年です。ちょうど50年前になります。そして,いま思うことは,大学時代の友人の人生を見ていて,「なるほど,彼らしい人生だ」と思える友,あるいは「彼はいい生き方をしてきた」と感ずる友は,皆,学生時代からそのことを私に予感させる何かを持っていたのです。

それは何か? 彼らは学生時代に「一生懸命になれるもの」を持っていたのです。勉強が何よりも好きな友もいましたし,野球に一生懸命の友もいました。

学生時代に「打ち込んで何かをした」ということのない私が言うのは気が引けるのですが、皆さんには,ぜひ長崎大学で自分が打ち込んでやりたいことを見つけてほしいと願っています。

先ほど,本学OBの種口敬明さん指揮による長崎大学管弦楽団,ならびに長崎大学ロマンツアー合唱団による長崎大学学歌の演奏がありました。皆さんの入学を祝って先輩の彼らが心を込めて歌い,演奏したのです。皆さん,感激したでしょう?

このように若者の一生懸命な姿は見る人を感動させ,地球に明るい将来があることを予感させます。皆さんの一生懸命な姿こそが長崎大学に対する社会の評価を高め,長崎大学の名前を不朽にし,長崎大学から世界に向けた最も大切な「知の情報発信」となるのです。

皆さん、「一生懸命」で願います。積極果敢に自分の思うところにチャレンジしてください。自発的な皆さんを長崎大学は全力をあげて支援します。

最後にひとつ皆さんにお願いがあります。長崎大学は過去に実に悲しい歴史を持っています。1945年8月9日の原爆被災により,現在の教育学部の前身の長崎師範学校は50余名の,また医学部,薬学部の前身の長崎医科大学および附属薬学専門部は897名もの教職員学生を喪いました。

いま,桜が満開の文教キャンパスや医学部や附属病院のある坂本キャンパスで,60年前に皆さんの大勢の先輩が原爆の犠牲になったのです。長崎大学キャンパスは原爆で生命を落とした先輩たちが眠っている奥津城なのです。たばこのポイ捨て,紙くずやペットボトルの投げ捨て・置き去りなどは先輩を冒涜する実に恥ずべき行為です。あってはならないことです。ゴミが落ちていたらそっと拾って片付けてください。

原爆の犠牲になった先輩たちは生きておられたらきっとすばらしい仕事をなさったに違いありません。先輩たちの分までよく生き,よく勉強するのが皆さんと私たち,すなわち長崎大学人の責務なのです。

皆さんのような無限の可能性を秘めた若く能力ある青年を得て長崎大学はとても喜んでいます。長崎大学のあたらしい歴史を創ってくれるに違いない皆さんの入学を歓迎します。これからの活躍を期待しています。

以上を持って学長告辞とします。

長崎大学長   齋 藤   寛

(H18.04.07 長崎ブリックホール)