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学長室

久松シソノさんの記憶 〜長崎大学名誉校友・久松シソノ様追悼式典にて〜

2010年01月29日

長崎大学名誉校友,久松シソノ様の一周忌にあたり,長崎大学を代表して追悼の言葉を捧げます。

こうして慈愛に満ちたご遺影を前にいたしますと,在りし日の久松さんのお姿が鮮明に瞼の内側に蘇ってまいります。大学構内を,松山町界隈を,そして如己 堂辺りを歩いておられるお姿を,時々お見かけしておりました。久松さんの歩みは,ゆっくりと,そして飄々と,しかしながら確信にみちた堂々とした足どり で,小柄なお体から発せられるえもいえぬ存在感にいつも圧倒されていたものです。その歩みは,久松さんの85年間の人生そのものであったように思います。

昭和16年,長崎医科大学に看護婦として奉職されて以来,昭和60年に長崎大学附属病院看護部長を最後にご退官されるまでの44年間,附属病院の診療, 運営そして看護教育に大きな貢献を為していただきました。とくに,優秀で人間愛に満ちた多くの後進の看護師たちを育て上げ,世に送り出していただいた業績 は特筆されるものであります。

昭和20年8月9日,松山町上空で炸裂した一発の原子爆弾により,一瞬にして長崎医科大学と附属病院は灰燼に帰し,900名の教職員・学生の命が奪われ ました。その中で,故永井隆博士とともに,不眠不休,まさに阿修羅のごとく原子野に立ちヒバクシャ救護に当たられたことは,万人の知るところであります。 長崎大学は,久松さんに,言葉では言い尽くせないほどの大きいご恩をいただいたと思っています。あらためて,深甚よりの感謝を申し上げます。

永井博士が亡くなられて以降は,博士の如己愛人(己の如く人を愛す)の精神を継承し,語り部としての途を歩むことを自らに課せられました。長崎大学ご退 官後は,NPO法人「如己の会」を設立されるなど,その活動をさらに発展・強化されました。このような久松さんに対し,平成17年看護師世界最高の栄誉で あるナイチンゲール記章が授与され,長崎大学も平成20年名誉校友の称号を贈らせていただきました。

こうして,久松さんの慈愛と尊厳に満ちた一途な生き様に思いをはせる時,私たちは心震える感動を禁じることができません。

私は最近,心にひびく一つの言葉とめぐり合いました。本学の環境科学部の先生から教えて頂いたのですが,記憶とともに生きる「記憶との共生」という言葉 です。21世紀の今日,地球も人類も大きな困難に直面しています。新しい形の戦争の時代が幕をあけ,核戦争の危機も去っていません。環境破壊はすすみ,経 済不況や食糧・エネルギー問題は南北格差と南北対立を深刻化させています。このような時代にあって,次世代以降も持続可能な豊かで平和な社会を展望するた めの重要なキーワードが「共生」だと思います。自然環境や生物多様性の意義を理解し共に生きる「自然との共生」,多様な個性やジェンダー,民族,宗教,文 化の枠を超えて互いを理解し共に生きる「他者との共生」,そして「記憶との共生」です。

私たちは,過去の個人的な実体験に基づく記憶とともに生きています。しかし,私たちを形作る記憶は,それだけにはとどまりません。私たちが属する長崎大 学という共同体が持つ記憶,長崎という土地の記憶,さらには国や民族の記憶,そして人類の記憶と,大きく拡がっています。歴史と言い換えてもよいかもしれ ません。逃げることなく記憶と向き合い,記憶とともに生きていくこと,さらには他者の記憶にも思いをはせること,これが「記憶との共生」だと思います。

長崎大学が決して忘れてはならない記憶,長崎大学の教職員・学生が共有し向き合わなければいけない記憶,それは昭和20年8月9日の記憶です。永井博士 や久松さんの記憶は8月9日の記憶と重なります。久松さんの記憶は,いつも私たちを8月9日の原点に連れ戻してくれるのです。長崎大学は久松シソノさんの 記憶とともに生き,8月9日と向き合い,世界の平和と人類の福祉に貢献する学術の府として,前に前に進み続けることを,最後にお誓い申し上げて,追悼の言 葉といたします。

長崎大学長
片 峰   茂

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