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学長室

地方国立大学における法人化の意味と地方分権

2010年02月03日

法人化の意味
1949年,戦前の旧制高等学校,医科大学,高等師範学校など単科の高等教育機関の再編・統合により,新制国立大学ができた。この時,現在のほとんどの 地方総合大学が誕生したといってよい。長崎大学も例外ではなく,江戸末期オランダ人医師ポンペによって設置された医学伝習所を創基とする医学部は150年 有余の歴史を有することになるが,総合大学としては今年で創設60周年である。新制国立大学においては戦前の単科教育機関の機能が学部の形で継承され,そ の後いくつかの変革・変遷を経たが,基本的には文部(科学)省護送船団方式による統制的庇護と学部教授会自治の下,強い外圧に曝されることもなく"知の集 合体"として我が国の高等教育を担い続けてきた。ところが,1990 年代初頭のバブル崩壊の頃から,より直裁的な社会貢献を大学に求める外圧が強まり,設置基準の大綱化,遠山プランを経て2004年の国立大学法人化に至っ た。法人化は上からの大学システムの大変革であり,国立大学は独立した経営体としての自立を強いられることとなった。  この一連の上からの大学改革に際して用いられた標語の一つが「競争的環境の中で,個性輝く大学」であった。地方総合大学が競争的環境の中で個性を発揮し 存在感を示すためには,これまでの単なる学部の集合体から"知の共同体"への転換を図る必要があった。法人化により,従来の教授会自治から大学のガバナン スを学長の下に一元化したことは,この転換を促進するドライビングフォースとなるはずであった。しかし,地方総合大学が,歴史も教育目標も研究力も異なる 学部やそこに属する教員を糾合し,個性輝く"知の共同体"へと変貌を遂げるのは容易なことではない。先日の国大協主催のセミナーで,慶應大学安西前塾長は 「法人化されて後も各国立大学には個性が見えてこない。未だみな同じようにしか見えない」と指摘された。確かに「自立自尊」の人材育成理念の下,個性ある 教育研究の伝統を有する慶應大学からみると,その通りなのであろう。部局横断で全教職員・学生が共有できる人材育成理念の存在が,"知の共同体"の大前提 であることを再認識させられた。 理念を確立し,それに基づき共同体として整合性のとれた教育システムや教育カリキュラムへの改革を図り,それを実践する必要がある。学士課程に関しては, 崩壊寸前の教養教育を学士プログラムの核として再構築・復権することが最大のキーポイントとなろう。本学も,遅まきながらそのような改革に着手している。
各大学に無条件に交付される運営費交付金が着実に減額される一方で,競争的大型補助金・委託研究事業の枠が大幅に拡大された。「競争的環境の中で,個性 輝く大学」の理念達成のための財政戦略としては筋の通ったものといえるが,大学現場には競争的資金獲得の成否が研究機関としての大学の死命を制するものと 映った。全ての学問領域で競争力あるマンパワーと実績を有するいくつかの大規模大学(旧帝大など)はともかく,歴史も蓄積も異なる学部・研究科で構成され る地方総合大学においては競争的大型資金獲得のための当面の戦略は「選択と集中」以外にはなかった。 長崎大学では医学領域の2つのCOE(放射線医療科学と熱帯病・新興感染症)と環東シナ海海洋資源環境研究の国際性の高い特色あるプログラムを選択し集中 支援することとした。果たして,ケニア,ベトナム,ベラルーシに常駐型研究ブランチを設置するなど,これらは内外に知られる「長崎大学のカオ」として発展 しつつある。それに伴いいくつかの競争的大型資金も措置された。連動して,国際連携研究戦略本部や国際健康開発研究科など特色ある組織も創設することがで きた。本学における「選択と集中」は,とりあえずの成果を得つつあり,大学の個性化にも貢献したといえる。次なる課題は,「選択と集中」の成果を定着させ 更なる発展を期すことと,それを大学全体の教育研究の高揚に波及させることである。
法人化の大義は,各大学への拡大した自由度と競争的環境(平等なチャンス)の提供に尽きる。自由度を付与されることによって,独自の個性を創出・発展さ せ,それをもって競争することが可能になったわけである。従来の文部科学省親方日の丸・横並び管理方式の下,大学の形態・規模や立地のみから序列化されそ の大学の役割が決まってしまう状況から,大学の努力次第でいかようにも発展できるチャンスが与えられたと前向きに考えれば,とくに地方大学にとっては,法 人化は福音であり歓迎すべきものであったといえる。この基本認識は今でも変わらない。新政権にも,法人化の大義を堅持し,国立大学の自立と個性化へ向けた 自主的取り組みを更に支援し奨励する政策の展開を望みたい。

法人化の課題
一方で,法人化の課題や問題点も明らかとなった。たとえば,法人化されて,教職員の業務量は確実に増えた。従来の教育・研究以外の社会貢献と雑用の増加 が主要因である。雑用には評価業務や競争的資金獲得のための申請書作成などが含まれる。附属病院では,診療収益増の圧力の中で診療労働時間が激増し,若手 医師を中心に疲弊が拡がっている。業務量の増加は,確実に教員から研究に注げる時間を奪いつつある。それに加えて,国の行財政改革の一環としての運営費交 付金や人件費の削減である。学術の府としての大学が今後その役割を果たし続けるためには,早急に安定した財務基盤を確立する必要がある。とくに地方総合大 学においては,全収支の半分近くを占める大学病院の経営の安定が緊要の課題である。運営費交付金効率化係数の撤廃は,そのための最低条件であろう。
競争的資金の重点配分が大学の個性化に一定の効用あったことは,既に述べた。しかし,過度の「選択と集中」の悪弊も明確になりつつある。研究費の偏在い わゆる格差である。大学間の格差はもとより,大学内にも格差意識が拡がった。光が当たる研究者は成果達成の強迫に胃の痛む多忙な日々を強いられる一方で, 陽の当たらない領域に身を置く研究者は不条理に憤るといった図式が形成されつつある。先般の補正予算の「世界最先端研究支援プログラム」は究極の「選択と 集中」であった。出口の見える,言い換えればカネになりやすい特定の研究に1課題30億円もの巨額が投下された。基礎的研究あるいは今は地味に見えるが将 来性のある特色的研究の幅広い振興こそが日本の科学の地力アップにつながるはずなのにである。年間数百万円の科研費に夢を託す一般の研究者のヤル気に冷水 を浴びせるものであったと思う。 "過ぎたるは及ばざるがごとし"である。そろそろ,研究予算配分のありようを再考すべき時期に来ているように思われる。

地方分権と大学
法人化以降とみに強調されているのが,大学の社会貢献であり,とくに地方大学においては地域貢献である。地域貢献がこれほど強調されるのは,いま地方分権が政治課題に上る一方で地方の疲弊が深刻度を増していることと無縁ではない。
日本は,バブル崩壊後から社会に漂う停滞感をなかなか払拭できず,そして世界の中での日本の存在感や相対的競争力が確実に低下しつつある。一方で,日本 の政治,経済,学術,文化すべての中枢機能は東京に在り,ヒト,モノ,カネ,情報が東京を中心とした地域に集中している。欧米諸国を見わたしても,日本ほ ど一極集中が極端な例はない。そして現在のように経済が低迷する状況下では,一極集中のしわよせが地方に極端に現れる。いわゆる地域格差である。東京に在 る為政者たちの眼が,地域の隅々にまでいきわたるはずもなく,地域格差の是正のためには地方分権は避けて通ることのできない方向性であろう。さらに重要な 観点は,東京発の欧米追従型の一元論では,現在の日本の混迷を打破することが難しいことに私たちが気づきつつあることである。東西南北に細長く伸びる日本 列島には,地形や気候などの自然環境や固有の歴史に規定された多様な風土が存在する。この地域の多様性の中にこそ,ブレークスルーのヒントがあるのではな いか。 地域がその特色を再認識し,東京の物真似ではないそれぞれのやり方で事業や産業を興し,人心の活性化を図ることができるか否か。そのような地方における多 様な試みが,日本の閉塞状況を打破する大きな流れにつながり得るはずである。しかし,現実には地方分権への制度的障壁は高く,「地方の時代」実現への途は なかなか険しいようである。何よりも,地方は人材面でもシステム面でもまだまだ力不足である。その中で,地方大学は地方分権の先導役としての役割を自覚す る必要がある。
長崎大学は,毎春約1700名の新入生を迎える。そのうち,40%弱が県内出身者である。そして,大学院を含めた毎年の卒業生約2000名の25%が県 内に職を得る。長崎大学の基盤は地域にあり,同時に大学は地域の医療,教育,行政,産業,経済の基盤を支える多くの人材を供給しているのである。この高度 職業人材の育成と供給こそが,地方大学としての最大の地域貢献なのである。
反面,首都圏を中心とした県外へ旅立つ卒業生の方が多いことも事実である。とくに昨今は,医学部の卒業生で地域に残る者の割合が減少し,地域医療の崩壊 をもたらしかねない大問題になりつつある。本学で学び夢を育んだ学生たちの出口,すなわち夢や希望の在り処の多くは大都市圏にあるというのが現実である。 日本の産業・社会構造を考えれば当然といえば当然であるが,地域振興の観点からは,一人でも多くを地域に踏みとどまらせ,そして外からも若者たちを呼び込 み,若者人口を増やしたいところである。それは,いかにして若者が目を輝かして働き,活動できる環境を創生できるかにかかっている。大学は達成した質の高 い教育研究の成果を社会に還元することで,そのことに貢献できるはずである。経済不況にかぎらず環境,食糧,感染症など現代の地球規模課題の影響は世界に おいては途上国に,国内では地方において顕著にあらわれる。地方大学にして地球と人類に貢献する新しい価値観の創造とそれを担う次世代人材の育成にまい進 しなければならない所以である。 地方にあっても,世界を睥睨し,地球や人類の将来を展望することのできる試みが為されることが重要であり,それによって始めて地方分権が意味を持つことに なる。
政権が交代し,今後地方分権への流れが加速されることを期待したい。その過程に存在感をもって関与し,その実現を先導しうるか否か,地方総合大学の真価が問われることになる。

(「IDE現代の高等教育」No.517 2010年1月号(IDE大学協会発行)掲載)

長崎大学長
片 峰   茂

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