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ポンペ家の末裔が長崎大学医学部を訪問

2025年11月4日(火)、西洋医学教育の父と称されるポンペ・ファン・メールデルフォールト(J. L. C. Pompe van Meerdervoort、1829-1908)を輩出したポンペ(ン)家の子孫であるレネ・ポンペン(Renée Pompen)氏(オランダ王国ヴァルケンスワールト在住)が、長崎大学医学部を訪問しました。今回の訪問の目的は、ポンペ博士の長崎での業績を学ぶものことでした。

ポンペン氏はライデン大学日本語学科を卒業後、日本の緑茶をヨーロッパに輸入する事業を手がけています。緑茶を介した交流を通じて知人となった長崎大学病院災害医療支援室長・山下和範准教授に本学訪問を打診し、今回の訪問が実現しました。

当日は、ポンペン氏とそのご友人が池松医学部長および山下准教授より歓迎を受け、学部内に展示されているポンペ博士ゆかりの資料や功績について説明を受けました。説明の中で、ポンペ博士が患者の身分にかかわらず診療を行ったこと、また日本初の近代西洋式病院がポンペ博士の願いにより「長崎(小島)養生所」として開設されたことを認識されました。

さらに、長崎大学附属図書館医学分館では、ポンペ博士が講義で使用した人体模型“キュンストレーキ”や当時の講義ノートなど、貴重な資料を実際に見学しました。

なお、ポンペン氏はライデン大学在学中、日本人留学生から幕末に長崎で医学を伝えたオランダ軍医ポンペ先生の存在を初めて知り、その後お祖母様にお話したところ、ポンペ博士が自分たちの家系に関する本に登場していることを知ったそうです。 

この訪問に際し、池松医学部長が述べた、「ポンぺ先生の『もはや医師は自分自身のものではなく病める人のものである』という言葉が長崎大学医学部の礎になっています」という説明が、深く印象に残ったとのことです。また、ポンペン氏は、ご先祖であるポンぺ先生とは異なる形で、日本とオランダの架け橋となりたいと語っていらっしゃいました。仕事だけではなく、若い学生の育成や交流などにも、惜しみなく力を貸したいとの思いを示されました。そして、今回の来学をきっかけに、新しいご縁が生まれることも楽しみにしているとのことです。

ポンペ博士のレリーフの前で
(左から ご友人の永田様、山下准教授、ポンペン氏、池松医学部長、ご友人の大塚様)
1934年建立のポンペ博士の記念碑を囲んで
良順ミュージアムでの見学の様子
附属図書館前での記念撮影