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東日本大震災・支援活動

福島未来創造支援研究センター

(23)会津磐梯山は宝の山

2018年11月30日

   福島県には多くの名山がありますが、人口に膾炙している山は何と言っても磐梯山でしょう。磐越高速道からみる正面の雄姿は、猪苗代湖とのペアで夙に有名です。
   昔の磐梯山は3000mを越す大山でしたが、噴火や山崩れで、標高1816mの現在の姿になったそうです。その痕跡を訪ねて、裏磐梯スキー場から火口入口を緩やかに登ると、小磐梯の山体崩壊と岩層なだれの後の櫛が峰斜面の複雑な地層や大きな岩盤が見えます。大きな元火口を横切ると、眼下には硫黄の煙が二筋立ち上り、林の中のは小さな銅沼(あかぬま)を見渡すことができます。そして、急斜面を登りつめると、磐梯山の山崩れで桧原湖や五色沼ができたという壮大なパノラマが眼前に広がります。この川上登山口からは馬の背を歩き、昔の別の噴火口を南(左手)に見ながら磐梯山の山頂を目指すことになります。ここは3合目、そして黄金清水の湧き水に喉を潤し、弘法清水の4合目から頂上へ一気に細い道を登りつめます。なぜ頂上が5合目かと言えば、その昔倍の大きさの山だったからだそうです。
   1888年、今から130年前の噴火と山崩れで今の裏磐梯ができたそうですが、自然災害に見舞われた痕跡を微塵にも感じることなく、錦織りなす紅葉と、また四季折々にその美しさを堪能することができます。福島原発事故により避難を余儀なくされ、今なお帰還困難な地域にある浜通りから阿武隈山系の一部の将来を考えるとき、自然災害に学ぶこと、そして回復力の素晴らしさを再認識させられました。
   さて、なぜ磐梯山が宝の山なのか。山一面の草木や岳樺(ダケカンバ)、山ぶどうの葉が秋には黄金に見える為なのか、あるいは目には見えない大切な宝を常に思い起こさせてくれているのかは分かりませんが、山紫水明の日本は、まさに全体が山島であり、北塩原村から米沢に抜ける西吾妻スカイバレー(県道2号と国道459号が重複)の白布峠にある山形県側の展望箇所錦平には、平戸市出身の藤原洸氏の山の詩が石碑に刻み込まれていました。

      山   遠くをながめながら   静かに生きている
      山   ある日   つぶやいている
      山   そこにある   忘れられない表情(かお)
      山   私たちの先祖