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山本教授 活動レポート

岩手県遠野市に設置した拠点を中心にして活動する、山本教授のレポートです。

      

3月20日(日曜)

 いま、岩手県の東岸、釜石から北へ10キロほどいった大槌町の旧町営弓道場にいます。そこでの話です。男の子が「何してるの」と遊びに来ました。「記録を書いているんだ」と私が答えると「キロク?」「そう、ところで、名前は?」「けんと」「何歳?」「六歳」「へぇー、年長さんだ?」「そう」「四月から小学校?」「そう、三月一九日が卒園式だったんだ」「昨日だったんだね」「うん」そう言って、男の子は走っていきました。友達のりえちゃんと遊ぶためです。震災で東北地方は大きな被害を受けましたが、美しい自然も残っています。ある人の言葉です。「朝日がなんとも美しく、地震と津波をもたらした同じ惑星の仕業なのだろうかと。地球環境との共生という言葉も人間の驕りにさえ思われます」それでも、人々は、逞しく生き始めようとしています。卒園式はありませんでしたが、けんとやりえちゃんの未来に、なにがしかのことができればと思います。

      

3月19日(土曜)

 釜石、大槌から、吉里吉里、陸前山田を経て宮古へ向かいました。約1時間の行程です。国道45号線は、一昨日、釜石―宮古間が開通しました。晴天、青い空が広がります。「海だけみていると・・・」という言葉を思い出します。 宮古港には、長崎大学の練習船が停泊していました。それ以外の船舶の停泊はありません。閑散とした港で、やや遅れて到着した私たちを「乗船組」が迎えてくれました。 物資と医薬品、医師2名、カウンセラー1名、医学生1名を車に乗せ、大槌に向います。大槌では、弓道場と高校に設置された避難所で、地元の開業医と県立病院の医師の方のお手伝いをさせていただいています。自らも被災した医師が住民の診療にあたっていますが、疲労の色が隠せません。診療を交代し、町を見たいという医師を乗せ、町を一周しました。「すごいね、これは。すごいね」と、一週間ぶりに、そして震災後初めて外を見たという医師は、何度も繰り返しました。 友人の増田太郎さんが、「希望の景色」という曲をリリースしたという連絡をくれました。「必要とあれば、どこにでも駆け付けるつもりです。だから、いまは、その日のために、時間を惜しんでヴァイオリンを弾いています」。増田さんは、20歳のときに視力を失いましたが、そのとき自分を支えてくれたのが、5歳から始めたヴァイオリンと音楽だったといいます。

      

3月18日(金曜)

3月18日朝4時半、長崎から第一陣の医師、看護師、そして支援物資が、遠野に入りました。陸路36時間の行程でした。そのまま、三陸海岸を目指し、診療拠点を置いた大槌町弓道場避難所、大槌高校避難所で、夜間当直も含めた診療を開始しました。電気も水もありませんが、到着した医師や看護師が避難所に泊まり込むのは、少しでも被災者の方々の気持に寄り添いたいとの思いからです。今年81歳になる女性と遠野の先の東和までご一緒しました。東和からは知り合いが盛岡に運んでくれるそうです。弁置換(心臓)手術の術後で、薬(ワーファリン)が切れていて、盛岡では岩手医大を受診します。道々に話をうかがいました。「実は、盛岡へは行きたくない」と。「自分一人だけだば、行くのさ嫌だ、けど、いてもみんなに迷惑をかけるだけだし」と。彼女が津波を経験するのはこれが二度目だったそうです。最初は4歳の時です。その時は、夜明けで、高台に多くのたき火が焚かれていたこと覚えているそうです。「それにしても、こんなことになるとは」と、口を閉じました。現在、長崎大学水産学部の練習船が、支援物資を積んで三陸沖を航行中です。明日、第二陣の医療チームと支援物資を受け取る予定です。陸からと海からの支援が、三陸で合流します。あと幾ばくかすれば、多くの支援が入ると思います。いまが、踏ん張りどころだと思っています。

3月17日(木曜)

釜石中学、釜石市体育館、双葉小学校を巡回診療したあと、釜石から大槌町、吉里吉里町と北上しました。途中、孤立した老人ホームがあり、物資が届いていないとの話を聞きました。「幸楼」という古い料亭を改装した老人ホームです。車が通れなくなり、山道を20分少し歩いていかなくてはならないということです。一緒に支援に入った女性医師が言いました。「行きましょう」。幸い、車の中には、いただいたおにぎりがありました。山道を上っていくと、姿をかえた釜石の町が一望できました。その向こうに蒼い海が見えます。「海だけ見ているとなんもかわらないのにね」と、釜石出身の彼女がつぶやきました。「幸楼」には、20人ほどの方がいました。玄関には、「自力で避難所に行ける方は、避難所へ行ってください」と書いた張り紙があります。おにぎり、喜んでもらえました。

3月16日(水曜)A

遠野から、三陸海岸沿いの釜石、大槌に向かいました。昨夜からの雪が、仙人峠を越えても降り続くなか、釜石に入りました。釜石駅から海岸へ向かう道は、津波の爪跡が深く町に刻まれています。車や家には「×」印が見えます。既に確認済みを表す印です。さらに北上し、大槌に向かいました。トンネルを抜けると隣で車を運転していた大槌出身の看護師が「雪で、よかった」とつぶやきました。「景色が見えないから」と。あたりは一面の雪です。その向こうにあるべき町が見えない、本当のことなのか、雪のためなのかわからない、それが救いだというのでしょう。支援を待つ人々が、三陸海岸の小さな町々に点在し、数十人から数百人で避難生活を送っています。長崎大学は、東北関東大地震の支援拠点を、遠野、釜石、大槌に置いて、本格的支援を開始することとしました。またこの支援拠点を全国の有志の方々に開放したいと思います。

避難所の様子

避難所の様子

大槌の町

大槌の町

3月16日(水曜)@

昨夜、岩手県遠野市に入りました。余震が続いています。暗闇に覆われた町に、みぞれまじりの雪が降っていました。気温は氷点下近くまで下がっています。同行の1人の医師と1人の看護師は、釜石と大槌の出身です。高校卒業後、東京へ来たそうです。津波で大きな被害を受けた町には、親や兄弟、知人がいます。「故郷の釜石や大槌で、何もできなくても、被災地の支援を、どこかでなにかできれば、それでもよい」と仙台に来ていた2人でした。遠野の方は、知人や知り合いを亡くしたと話しています。元気に、あるいは元気そうに振舞っていますが、それが、大きな悲しみの表現であることを、私たちはハイチの地震の後に知りました。総力戦だと感じています。被災地の内側にいる人も、持ち場で仕事を行っている人も気持は一緒です。妻と七歳になる息子への愛おしさは募りますが、それを、いまは、支援に向けていきたいと思います。近く、みなさまの支援を仰ぎます。よろしくお願いします。

3月15日(火曜)

本日より、予定通り、仙台から北へ向かいます。花巻から釜石あたりに、医薬品をもって、入ります。釜石出身の看護師さんが、2人、同行予定です。総計4人で向かいます。 福島が心配です。東京から同行した学生ボランティアは、帰します。何か情報ありましたら、お願いします。

3月14日(月曜)A

多くの方から、返信いただきました。個別に返事ができませんが、可能な限り、情報共有させていただきます。今回は、長崎大学から派遣されてきました。現場では、AMDAとのコラボのミッションで入ります。今日は、車2台で。6人で入る予定です。地震直後に現地入りした人たちが、交代で新潟にも引き上げてきています。引き続きニーズは高いとのこと。高速はところどころ、壊れているものの、仙台までは通行可能。6−8時間ほど。 現在のところ、仙台を拠点としますが、さらに北にニーズが高いようです。19日に一度東京を目指します。通信手段がどこまで確保できるか分かりませんが、その間の、動き、また、継続支援の可能性などを、ご教示ください。 取り急ぎですが。   

3月14日(月曜)@

長崎大学熱帯医学研究所の山本です。本日、夜12時に、救援物資と食料を積み、車で関越道から新潟に入りました。緊急支援車両としての通行許可書がとれました。明日、14日、仙台を目指して入ります。 県境を越えた途端、雪景色でした。 経緯は以下。東京出張中、神保町にいたとき、地震が発生しました。当日は、小生も4時間ほどかけて、家まで歩いて帰りました。現場に近いこともあり、安全を確保に留意した上で、被災地に入ることにしました。救援活動に当たると同時に、今後何が必要か何ができるか考えてきます。
取り急ぎですが。

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