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四半世紀にわたる長崎大学のチェルノブイリ支援の成果と今後

1986年4月26日発災したチェルノブイリ原発事故から30年。長崎大学では旧医学部附属原爆後障害医療研究施設と旧第一内科を中核として、蓄積された晩発性放射線障害の調査研究成果を生かし、1990年から現地視察や医療協力の為の準備を開始しました。当時、世界は東西冷戦構造の時代にあり、人類史上最悪の原発事故の情報が正しく開示されませんでした。1991年12月突然のソ連解体によりチェルノブイリ周辺には国境線が引かれ、被災地域はベラルーシ、ロシア、ウクライナの広大な地域に跨がることになり、その混乱の渦中で初めて本格的な調査や、海外からの支援活動が動き出しました。

特に、本学の関係者は、国際原子力委員会(IAEA)や日本とソ連の2国間外相覚書きによるチェルノブイリ支援に協力すると同時に、1991年4月26日、事故後5年を契機に開始されたチェルノブイリ笹川医療協力事業の現地指導で大きな貢献をし、3カ国に5カ所の診断センターを立ち上げ、20万人以上の子ども達の健康調査など多くの実績を積み重ねました。穀倉地帯に広がる広大な放射能汚染地域では、住民の生活環境は厳しく、そのうえ通信状況が悪いなかで、酷寒の冬場でも検診を続けました。以来25年間、本学から派遣された専門家は延べ数百人に及び、また現地から本学に医療研修や学術会合、共同研究などに訪れた医療関係者も数百人を超えます。その一部は、長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)との共同事業でもあり、長崎県そして長崎市に支えられてきました。さらに、チェルノブイリ周辺の各大学や研究機関とも学術交流協定を締結し、定期的な人事交流や国際共同研究が推進されています。

この間、チェルノブイリ原発事故から20周年の節目となった2006年には、世界保健機関(WHO)における事故の健康影響に関する報告書の取り纏めに参画し、甲状腺癌の問題以外にも精神的な後遺症の甚大さを報告しています。また2011年2月には、WHOの緊急被ばく医療ネットワークの第13回国際専門家会議を本学で開催し、世界の原発事故対応の準備を行いました。

不幸なことに、この翌月3月11日には、日本は東日本大震災に伴う福島原発事故に遭遇しました。しかしながら福島県では、チェルノブイリの教訓を生かした本学からの迅速な現場対応やクライシスコミュニュケーション、そしてその後の復興期における放射線リスクコミュニュケーションが幅広く展開されています。まさに、チェルノブイリの経験と反省を生かし、原子力災害医療への本格的な取組みと、世界の原発リスクの課題解決に向き合っています。

そして何よりも、本学のモットーであるグローバルヘルスに貢献する人材育成を通じて、継続したチェルノブイリ医療協力が進められています。そのための有為な、そして志ある人材育成を目指して、従来の放射線医療科学専攻の博士課程の教育以外に、2016年4月には災害・被ばく医療科学の修士課程コースが福島県立医科大学との共同大学院として設置され、海外からの留学生も対象に新たにスタートしました。

チェルノブイリ原発事故から30年のこれまでの医療協力と支援活動は、確かに困難に満ちたものでしたが、長崎大学では原爆後障害医療研究所を中心としたこれまでの努力の成果を生かし、国際社会とともにグローバルヘルスリスク管理に資する現地への協力関係を継続する所存です。

 

理事(国際・附置研担当)・副学長(福島復興担当) 山下俊一