HOME > NEWS > 詳細

News

ここから本文です。

  • 研究

サバティカル(研究専念期間)中の経済学部 丸山 真純 准教授から在外研究記が届きました

ムーミンの国、白夜の国、そして幸福度世界一の国として知られるフィンランド。
丸山准教授は経済学部のグローバル教育の充実を図るため、同国の優れた教育システムに研究に取り組んでいます。そんな中で起こったロシアによるウクライナ侵略。刻々と変化するフィンランドの社会情勢についてのビビッドなレポートです。

◆フィンランド在外研究記: ウクライナ侵攻をめぐって

 

1.    はじめに
 昨年11月よりフィンランド共和国ユヴァスキュラ大学言語コミュニケーション学部にて研究専念期間を過ごしています。日本では、フィンランドといえば、ムーミン、マリメッコ、イッタラ、学力世界一となった教育システム、さらには、幸福度世界一といった面に着目されることがほとんどだと思います。私も、ムーミンは別としても(ヘルシンキ–バンター空港ではムーミンカフェで出迎えられましたが)、北欧デザイン、男女共同参画の進んだ社会、英語とは異なる語族の言語であるフィンランド語を母語としながらも(フィンランド語はウラル語族に属し、英語や他のヨーロッパの言語の属するインド=ヨーロッパ語族の言語ではありません。そのためスペルから意味を類推することはほぼできません…)、その高い英語運用力とその背後にある教育システムといったことからフィンランドに関心を持っていました。

 

ユヴァスキュラ大学内のアアルトの建築物1


1 https://visitjyvaskyla.fi/en/attractions/university-of-jyvaskyla/より
昨年11月、当ビルディングで、フィンランド応用言語学会が開催されて、私もいくつかのセッションや講演に参加しました。

 

ヘルシンキ–ヴァンター国際空港到着ロビーのムーミンカフェ(筆者撮影)

 こちらは長い冬が終わり、冬の短い日照時間を取り返すべく、ものすごい勢いで日照時間が延びているのを感じます。4月17日の日の出は5:45、日の入りは20:50です。ちなみに長崎の同日の日の出は5:50、日の入りは18:50です。サマータイムを考慮しなければ、日の出は4:55、日の入りは19:50です。短い時は4時間ほどしかなかった日照時間が、現在では、長崎の日照時間を遥かに超えています(ユヴァスキュラは北緯62度;ヘルシンキは北緯60度です)。白夜を経験できるのは、北緯66度以北とされているので、厳密な意味での白夜は経験できませんが、それに近い経験ができるだろうとワクワクしています。


 前置きが長くなりましたが、日本でも報道されているように、ロシアのウクライナ侵攻によって、フィンランドならびに北欧諸国がにわかに注目されることになりました。最近では、ヘルシンキ―サンクトペテルブルク間の鉄路が止まり、ロシアからフィンランドへの入国が不可能になりました。また、経済的にはEUに加盟しているものの、政治歴史的関係から安全保障に関しては中立を保つため、東西どちらの陣営にも加わっていません。ところが、国民のNATO加盟をめぐる世論の高まりを受け、近いうち(当初は数ヶ月が想定されていましたが、現在では数週間と言われています)に何らかの意思決定をすることをフィンランドのサンナ・マリン首相は明言しました。スウェーデンとともにNATO加盟の方向という報道も見られるようになっています。日本でも、そのような報道がなされているのではないかと思います。


 先に述べたような面でのフィンランドに関心を持っていたものの、ロシアとフィンランドの関係を十分に考えることはなかったのですが、思いがけず、フィンランドとロシアの関係あるいはフィンランドの東西のはざまにおける立ち位置などに直面することになりました。ヘルシンキ旅行時には、ヘルシンキが東西あるいは米露の首脳会談の地として過去に何度も選ばれていることを知りました(今回のウクライナ侵攻、ロシア側の言葉を借りれば、「特別軍事作戦 Special Military Operations」以前には、プーチン露大統領とバイデン米大統領のヘルシンキ会談が計画されていました)。現在、日本への出荷が滞っている(オーロラ)サーモンはノルウェーからヘルシンキへ陸路で運ばれ、フィンランド航空にて空輸されています(長崎の某回転寿司チェーンではこのフィンエアの映像が店内に流されていますね)。最近、フィンランドにやってきた日本人の方にお聞きしたところ、北極回りで遠回りのうえ、ヘルシンキ便がキャンセルになり、ロンドン乗換や日程変更でのヘルシンキ到着を強いられたりとのことでした(副産物として飛行機からオーロラが見られたそうです)。
 このような機会ですので、現地の様子などをふまえて、フィンランドとロシアの関係などを綴ってみたいと思います。

2.    大国ロシア
 北海道育ちの私にとって、ロシア(当時はソ連)といえば、主に、北方領土問題やカニなどの漁獲問題と強く結びついています。また、学生時代にベルリンの壁が崩壊し、冷戦の終わりを間近で経験した者としては(学生時代の1990年3月、当時の東ベルリンを訪問し、崩壊しつつあったベルリンの壁を借りたハンマーで壊して、砕けた壁を持ち帰りました)、米ソ対立の一方としてのロシアです。日本の多くの人たちにとってのロシアの認識というのはこのようなものではないかと思っています。とりわけ、今回のことでロシアを北欧との関係で想起するということは、日本では、ほとんどなかったのではないかと思います(フィンランドは北欧諸国の一刻として認識されていますが、のちに述べるように、フィンランドはスウェーデン統治からロシア統治下になり、北欧からいったん離脱し、第二次大戦後、北欧に復帰しています––もっとも、政治経済的にはヨーロッパに属しながら、NATOには加盟せず東西中立の道を歩むことで独立、経済成長を図ることになりました)
 よく考えてみれば、今回のフィンランドへ移動でも、羽田を離陸後、北海道を北に抜けてサハリン付近からロシアに入り、9時間余りのフライトののち、ヘルシンキに到着しました。東京からの10時間余りのフライトで先ずロシア上空に入り、到着したフィンランドの隣国もまたロシアでした。つまり、出発と到着地の隣国がロシアであり、日本とフィンランドはロシアを挟んで隣同士とも言えるのです。

 

北海道を抜けロシア領空へと進路をとる筆者の搭乗した航空機のフライトマップ(筆者撮影)

 今回のロシアのウクライナ侵攻を受けて、むしろ、ロシアのプレゼンスの中心は、こちらにあり、それゆえ、北欧、とりわけフィンランドは東西の緩衝地帯として難しい立ち位置にあることを強く意識することになりました。世界史に登場するロシアは、ヨーロッパ諸国、そしてアメリカにとっては、主として、そして多くの場合、西側の安定を脅かす(憎き存在としての)ロシアということになります。北欧、とりわけ、フィンランドは現在でも東側に長い国境線を持ち、長くロシア帝国の支配を受け、ロシアから独立したのがわずか100年ほど前の1917年。また、先の大戦でも敵国として戦い、戦後も冷戦体制の中で、西側と東側のはざまで難しいかじ取りを強いられてきました。おそらく、今回の件で、フィンランド(そして、スウェーデンも)がNATO加盟国でないことを知り(そして、ひょっとすると、フィンランド首相が30代女性であることも)、それが主として、ロシアとの関係に配慮したものであることを強く認識したのではないかと思います。

3.    フィンランドとロシア
 フィンランドは東側をかつての統治国ロシアと長い国境線で接しています(東京–福岡ほどの距離の国境線)。また、西はかつて統治を受けたスウェーデンです。一般に、北欧と言えば、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェーとアイスランドの5国を指します。
 国土は日本よりやや小さく、人口は550万ほどです。首都はスウェーデンからロシアに統治が移った際に、スウェーデンに近いオーボ(現在のトゥルク)からレニングラード(現在のサンクトペテルベルク)に近いヘルシンキに移っています。ヘルシンキからサンクトペテルブルクは鉄道で3時間ほどです(現在、この路線は運行停止されてしまいました)。この滞在期間中に機会があれば、サンクトペテルブルクに足を伸ばしたいと思っていたのですが、現在の状況では難しくなったと思っています。

 


ロシア・フィンランド・日本2

https://haru0309.exblog.jp/27106701/より

 フィンランドは6世紀にわたってスウェーデン統治下(13〜19世紀初頭)にあったのち、およそ1世紀にわたりロシアの統治下(1809〜1917)に入ることになります(この統治下にロシア皇帝の信書を携え根室にやって来たのがラクスマンです。このラクスマンはフィンランド人で、日本と最初に継続的接触があったフィンランド人とされています)。スウェーデン統治下であったため、現在でも、スウェーデン語がフィンランド語とならんで公用語となっています。現在では、スウェーデン語を母語とするものは数パーセントなのですが、スウェーデン統治時代の支配階級の言語の名残として公用語となっています。フィンランドでは、このどちらかの言語を使用することが権利として認められています。当然、標識などは、フィンランド語そしてスウェーデン語(場合によっては、英語も)で表記されています


 ロシア統治下では寛大な統治が続き、その中で、スウェーデン人でもロシア人でもないフィンランド人としてのアイデンティティが醸成されるとともに、ニコライ2世によるフィランドのロシア化政策転換への反発もあり、1917年12月6日にロシアからの独立を果たします(12月6日は独立記念日で、コロナ禍のため式典はオンラインでしたが、花火がひとしきり上がっていました)。もっとも、その直後の内戦によって共産主義政権が成立する可能性もあったものの自由民主主義体制を維持することになりました。


 第二次大戦では、フィランドはソ連と2度にわたって戦います(冬戦争と継続戦争)。そしてひどい犠牲を払いました。対ソ連戦(最後はラップランドでドイツとも戦っています)では、10万人が亡くなりました。人口が300万人程でしたから、かなりの犠牲であったことがわかるでしょう。しかし、戦力的には、完全に劣るフィンランド軍が必死の抵抗でソ連軍に多大な被害をもたらしました(冬戦争ではフィランド人死者1名にソ連兵8名の犠牲があったと言われます)。


 こうしたソ連との歴史的経緯があるため、戦後は現実路線を歩むことになります。特に、ロシア(ソ連)との信頼関係の構築は、民主主義の原則の一部を制限してでも死守することが重要になったと言われます(「フィンランド化」と呼ばれます)。「パーシキヴィ=ケッコネン路線」と呼ばれる2人の大統領の名を付した路線がこれを可能にしました。ケッコネンは自伝で次のように書きます:

「フィンランド外交に託された第一の課題は、わが国の存立と、わが国の地政学的環境を支配する利害関係との折り合いをうまくつけることである……〔フィンランドの対外政策は〕予防外交だ。予防外交でやるべきことは、危険が間近にくる前に察知し、危険を回避する対策を講じることである──望ましいのは、対策が講じられたこと自体が察知されない方法だ……とくに、自国の姿勢が趨勢を変えられるなどという幻想を抱いていない小国にとっては、軍事分野や政治分野での事態の展開を左右する要素を、早めに正確に把握することが非常に重要だ……国家は他国をあてにしてはいけない。戦争という高い代償を払って、フィンランドはそれを学んだ……この経験から、小国には外交問題の解決にさまざまな感情──好きとか嫌いとか──を混ぜ込む余裕はつゆほどもないことも学んだ。現実的な外交政策は、国益と国家間の力関係という国際政治の必須要素に対する認識に基づいて決定されるべきである」3
3  ジャレド・ダイアモンド. 危機と人類(上) (Japanese Edition) (pp.126-127). Kindle 版
 
 フィンランドはその後、西側との経済関係を強化する一方、ロシアがそれを黙認したのはフィンランドがロシアとの信頼関係の維持に細心の注意を払っていたからでした(東欧諸国のように、フィンランドも共産主義化する可能性もありました)。例えば、アメリカ提案のマーシャル・プラン援助を断る、西側との協定を結ぶ際には、共産主義諸国とも同等の協定を結ぶなどです。ロシアにとっても、フィランドが西側第2の貿易相手国となり、西側の科学技術や西側との窓口にもなりました(ヘルシンキでトランプ大統領とプーチン大統領が会ったり、バイデン大統領がヘルシンキに来て、プーチン大統領と会談が計画されたりしたのもそのような理由なのでしょう)。
 フィンランド(とスウェーデン)がNATOに加盟していないのも、悪戯にロシアを刺激しないというフィランドの路線を理解すれば、むべなるかなと思います。


4.
東西のはざまで: ロシアのウクライナ侵攻をめぐって
 今回の件では、ニュースはたちまちロシアのウクライナ侵攻一色に変わりました。そして、こちらの大学院生(日本に留学経験あり)から日本での報道はどのようなものか尋ねられました。こちらのニュースは、連日、フィンランド首脳が各国首脳と会談を伝えるものでした(大統領がワシントンを訪問;首相はスウェーデン首相と会談;また、翌日にはエストニア首相(エストニアはNATO加盟国)のフィンランドのNATO加盟支持など)。フィンランド、そして、スウェーデンがNATO加盟しないことによって、冷戦以後の東西の緩衝地として東西のバランスを保ってきたのですが、世論調査ではフィンランド国民の過半数がフィンランドのNATO加盟を支持、それにより法律により国会で議論することとなったというような報道がなされていました。その後、加盟支持はさらに上昇し60%を超えたと伝えられています。現在、マリン首相はNATO加盟に関して近いうちに意思決定することを表明し、NATO加盟に舵を切るとの報道もなされています。マリン首相がストックホルムで再度スウェーデン首相と会談するなど慌しくなってきました(それにしてもこの辺りの各国のリーダーが女性ばかりなのに驚きます)。

 

フィンランド(左)・エストニア(右)両首相 4

4 フィンランド公共放送YLEによる報道:
Estonian PM promises "lightning quick" ratification if Finland submits Nato application
(エストニア首相 フィンランドがNATO加盟申請すれば「光の速さ」での批准を約束)
https://yle.fi/news/3-12347637)より


スウェーデン首相(左)とフィンランド首相(右)5

5 フィンランド・マリン首相によるFacebook投稿(2022年4月13日)より(https://www.facebook.com/MarinSanna

 
 一方、ロシアはフィンランド(とスウェーデン)がNATO加盟することがあれば、軍事・政治的結末を招くとの声明を出しており、また核をちらつかせるなどしています。ウクライナ侵攻がウクライナのNATO加盟を望むなどのヨーロッパ寄りの姿勢が一因だとすれば、NATO加盟となればフィンランドのウクライナ化を招くことになりかねません。現在私が住んでいるユヴァスキュラはフィンランドの中央部に位置するのですが、このあたりを飛行する航空機のGPSが使用できなくなる現象が起き、詳細は不明ながら、ロシアの関与が囁かれたりもしています。また、フィンランドのNATO加盟を牽制するために、フィンランドとの国境近くにミサイルを移動させたという報道もあります。

 侵攻当初は、当地ユヴァスキュラでも連日デモや募金や寄付などの活動が多く見られましたが、現在は落ち着いて来ています。近隣国であり、フィンランド在住のロシア人、ウクライナ人の友人・知人を持つ人も多く、当然のことながらリアルな問題として捉えられているように思います。現地報道は、ウクライナへのフィンランドからの物資支援、ロシアからヘルシンキへ移動してくるロシア人やウクライナ人のことから、現在では、主にロシアに対する経済制裁とその影響よる経済の後退についての記事が頻繁に見られるようになっています。

5. おわりに
 当地は現在イースター休暇中で、春の訪れもあってか、街は人で賑わっています。マスクをする人もかなり少なくなってきました。外では、マスクを着用していると「自分は何かに感染している」というメッセージを発するようになり、却ってマイナスの評価を受けるような雰囲気もあります。来た当初は多くの人がマスクをしており、ヨーロッパのマスク着用率は悪いと聞いていたので驚いたことを記憶していますが、やはり日本ほどマスク着用は一般的ではないのだろうと思います。最近、マスク着用が緩和されたのですが、その際、日本のせいでなかなかマスク着用が緩和されなかったというようなことを言う人もいました(緩和されたことの嬉しさ余っての発言かもしれませんが、日本のマスク着用がこのように解釈されている部分もあるのだなと感じました。日本の報道では日本のコロナ感染者は多いという感じなのですが、世界的に見れば、日本の感染者は非常に少なく抑えられています。それが日本のマスク着用率の高さゆえと理解されたり、喧伝されたりしているのでしょう)。


 今後、フィンランドがNATO加盟となれば、また現在とは異なる様相を示すこととなるかと思います。思いがけず、コロナという未曾有の状況に加えて、ウクライナ侵攻をより近くで経験することとなりました。今後も、さまざまなことに注意しながら(3回目のブースター接種は2月に終えました)、研究生活を継続していきたいと思います。また気が向いたら、何か書きます。