2008年04月02日
長崎大学名誉校友称号を授与
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井石哲哉氏 | 久松シソノ氏 |
記念撮影
長崎大学の卒業生で各界において顕著な功績を挙げ,長崎大学の名誉を高めたとする長崎大学名誉校友の称号が,福地茂雄氏,井石哲哉氏,久松シソノ氏に授与されることとなり,3月25日,長崎ブリックホールで授与式が行われました。
長崎大学卒業証書・学位記授与式に引き続き行われた授与式では,初めに中山理事から名誉校友の称号についての説明が行われた後,本年度の卒業生,修了生らが見守る中,齋藤学長から井石哲哉氏,久松シソノ氏に称号が授与されました。両氏から謝辞が述べられた後,齋藤学長から,両氏を称える挨拶がありました。
両氏の略歴及び功績は次のとおりです。
(総務部総務課)
名誉校友称号授与者(第5号)
イセキテツヤ
井石哲哉氏
昭和7年1月12日生(76歳)
*長崎大学名誉校友称号授与規則第2条第1号に該当
昭和31年3月 昭和32年5月 昭和33年6月 昭和37年4月 昭和38年6月 昭和42年9月 昭和44年4月 昭和44年12月 昭和57年4月 昭和63年4月 平成8年4月 平成8年10月 平成10年10月 平成14年11月 平成19年10月 |
長崎大学医学部卒業 長崎大学医学部第一内科入局 長崎原爆病院内科勤務 科学技術庁放射線医学総合研究所臨床研究部勤務 長崎大学医学部附属病院助手 〃講師 長崎市上戸町診療所勤務 井石内科医院院長(現在) 社団法人長崎県医師会常任理事 〃副会長 〃会長(現在) 全国国民健康保険組合協会会長表彰 日本医師会優功賞 日本医師会最高優功賞 厚生労働大臣表彰 |
井石哲哉氏は,長崎大学医学部を卒業後,長崎大学医学部第一内科に入局し,長崎原爆病院内科勤務を経て,長崎大学医学部附属病院助手及び講師となり,昭和44年に井石内科医院を開業しており,さらに,昭和57年4月から昭和63年3月まで社団法人長崎県医師会常任理事,昭和63年4月から平成8年3月まで副会長,平成8年4月から現在まで会長を務め,また,長崎県の各種審議会等委員,日本医師会及び九州医師会の要職を歴任するなど,長崎県,九州及び日本の医療の発展,充実に大きく貢献されました。なかでも,長崎県医師会長としての大きな功績は,ドクターヘリの運行を行政,関係機関等へ強く働きかけ,九州で2番目,全国で11カ所目に導入し,長崎県の救急医療体制を整備したこと,長崎大学医学部との密接な連携により医師の生涯教育事業を推進し,離島を含め長崎県内の地域医療を充実させたこと,また,長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)会長として,チェルノブイリ原発事故関連諸国,旧ソ連の核実験場があったカザフスタン共和国等の被災地,韓国等か ら多くの医療従事者を研修生として受け入れ,指導,技術支援,医療情報の提供等を積極的に行い人材育成に努め,国際貢献に寄与していることなど,その功績は枚挙にいとまがありません。なお,NASHIM の活動は,平成12年に「第52回保健文化賞」,平成14年にベラルーシ共和国政府より感謝状,平成18年に外務省から「平成18年度外務大臣表彰」を授与されるなど,高く評価されています。 また,本学においては,昭和59年6月の医学部教育後援会設立に尽力され,その活動は,現在においても学生の教育,課外及び進路に関する支援に役立てられています。さらに平成8年6月から現在まで長崎医学同窓会会長,平成17年10月から現在まで長崎大学全学同窓会会長に就任され,母校の発展のために多大な貢献をされています。 このように,同氏の学内外における功績は顕著であり,長崎大学名誉校友の称号を授与するに相当するものと認められます。 |
名誉校友称号授与者(第6号)
ヒサマツ
久松シソノ氏
大正13年1月15日生(84歳)
*長崎大学名誉校友称号授与規則第2条第1号に該当
昭和16年3月 昭和40年3月 昭和16年3月 昭和19年8月 昭和24年5月 昭和27年1月 昭和44年4月 昭和51年5月 昭和52年12月 |
長崎医科大学附属医院産婆看護婦養成所卒業 長崎県立長崎西高等学校卒業 長崎医科大学看護婦 〃看護長 長崎大学に包括 長崎大学医学部附属病院看護婦長 〃副総看護婦長 〃副看護部長 〃看護部長 |
昭和60年3月 昭和51年 昭和60年11月 平成14年11月 平成17年7月 |
同上退職 日本看護協会会長賞受賞 勲六等宝冠章受章 長崎新聞文化章受章 第40回フローレンス・ナイチンゲール記章受賞 |
久松シソノ氏は,長崎医科大学附属医院産婆看護婦養成所を卒業後,長崎医科大学附属医院看護婦に採用され,同医院看護長,長崎大学医学部附属病院看護婦長,同副看護部長を経て,昭和52年12月に看護部長に就任し,昭和60年3月定年により退職し,この間,44年余に亘り診療業務の遂行に尽力されました。 退官後は,長崎大学看護学同窓会長として17年の長きに亘って同窓会の運営に当たり,長崎大学看護教育100年記念事業の開催,看護学研究奨励賞の発足など看護の支援事業を推進されました。また,昭和20年8月原子爆弾によって壊滅的状況となった長崎医科大学にあって,故永井隆博士とともに被爆者の救援活動に当たった経験から,昭和63年には永井博士の遺志を継承した「長崎如己の会」を設立,副会長に就任し,平和学習の語り部として平和希求と戦争反対を訴え続けられている。この一貫した平和希求の活動は高い評価を得て,平成14年には「長崎新聞文化章」を受賞されました。 現在は,世界被爆者医療と被爆事故対策支援などのため平成15年に附属病院に設置した「国際ヒバクシャ医療センター」の名誉センター長も務められている。さらに,戦中,戦後と生涯を通して真摯に取り組んできた看護師活動は学内にとどまらず,県内看護職員の研修指導,日本看護協会本部並びに支部における指導者的活動にも積極的に参画されてきました。これらの無私無欲な活動実績,前述の平和希求活動などが評価され,平成17年には「ナイチンゲール記章」が授与さました。 このように,同氏の学内外における功績は顕著であり,長崎大学名誉校友の称号を授与するに相当するものと認められます。 |