HOME > Research > 詳細

Research

ここから本文です。

薬剤耐性に立ち向かう医療診断AIは普及しないかもしれない

  長崎大学熱帯医学研究所国際保健学分野の伊東啓准教授は、同分野の山本太郎名誉教授、吉村仁客員教授、静岡大学の一ノ瀬元喜教授、守田智教授、大阪公立大学の和田崇之教授、九州大学の谷本潤教授とともに、抗生剤(抗生物質・抗菌薬)使用の背景に存在する社会的ジレンマが医療診断AIの普及を妨げる要素となりうることを示しました。

図1.想定した二つの医療診断AIのイメージ図
(左)世界的な耐性菌の拡散リスクも考慮して、寝てれば治る病気には絶対に抗生剤を処方しないAI
(右)耐性菌問題を一切考慮せず、一日でも早く治る可能性が少しでもあるなら抗生剤を処方するAI



【ポイント】
■ 抗生剤は多くの人々を救ってきたが、現在は抗生剤の使い過ぎが原因となって薬剤耐性菌(以下:耐性菌)が頻繁に出現するようになり、多くの人々を死亡させている。

■ 耐性菌の出現を食い止めるには、「社会全体で抗生剤の使用をなるべく控える」のが理想的だが、現実には抗生剤が必要以上に使用されている。

■ 抗生剤を使うという行為の裏側には、「個人が望む治療」と「世界の耐性菌問題」のどちらを優先するかという社会的ジレンマがあり、そこに個人と世界を両立する都合の良い回答は存在しない。

■ 図1のような「耐性菌問題を考慮するAI」と「耐性菌問題を無視するAI」のどちらに普及してほしいか、日本・アメリカ・イギリス・スウェーデン・台湾・オーストラリア・ブラジル・ロシアで計41,978人に対しオンラインで尋ねた。

■ 社会に普及するAIを二者択一で選ばなければいけない場合、各国回答者の過半数(56.1~78.2%)が耐性菌問題を無視して個人を優先するAI(個人優先型AI)を選んだ。


【背景】
 抗生剤は多くの人々を救ってきましたが、一方で抗生剤の使用は、抗生剤が効かない薬剤耐性菌(以下:耐性菌)を生み出します。耐性菌が蔓延すると、薬で治療できない感染で苦しむ人が増えるだけでなく、外科手術や臓器移植といった医療システムが機能しなくなる恐れがあります。実際に2019年の時点で、世界中で127万人の人々が耐性菌によって直接死亡したと推定されました(耐性菌の関連死では推計495万人に上ります)。


【社会的ジレンマとは】
 耐性菌は抗生剤の過剰使用によって頻繁に出現するようになります。そのため、「社会全体で抗生剤の使用をなるべく控える」のが理想的ですが、実際には「自分は気軽に抗生剤を使用したい(処方してほしい)」という合理的な考え方から、抗生剤の濫用に歯止めがかからない可能性があります。このような葛藤を「社会的ジレンマ」と呼びます。事実、「抗生剤を過剰に欲しがる一部の患者」と「そのような患者の要求にこたえようとする一部の医師」によって、抗生剤が必要以上に使用されています。


【この研究でやったこと】
 耐性菌問題の解決策として、AIを活用した医療診断の可能性について考えてみました。感情の無いAIが抗生剤の処方を決めれば、抗生剤の過剰使用は防止できるかもしれません。そこで、図1のような「耐性菌問題を考慮するAI(世界優先型AI)」と「耐性菌問題を無視するAI(個人優先型AI)」のどちらに普及してほしいかを尋ねることで、医療診断AIの普及に対する人々の意識を調べました。


【この研究で分かったこと】
(1)世界優先型AIと個人優先型AIに社会にどれくらいの比率で普及してほしいか尋ねました。回答者のうちの68.6~91.2%が両方のAIが使える状況を望みました。

(2)どちらか一方のAIしか使えない社会にする「AIの標準化(ルール化)」に対して尋ねたところ、33.3~54.0%の回答者が標準化に賛成しました。賛成が多かったのは、米国(54.0%)、オーストラリア(52.5%)、英国(51.0%)で、最も少なかったのは日本(33.3%)でした。ロシア以外の国では男性よりも女性の方が標準化に反対する傾向があり、台湾とブラジル以外の国では若年層よりも高齢層の方が標準化に反対する傾向がありました。

(3)社会的ジレンマを回避するためにどちらか一方のAIしか使えない社会にするとしたら、どちらのAIに普及してほしいかを尋ねました。すべての国で過半数(56.1~78.2%)の人々が個人優先型AIを選びました。ここでも、女性は男性よりも個人優先型AIを支持する傾向があり、高齢層は若年層よりも個人優先型AIを支持する傾向があることが分かりました。

(4)上記の(2)と(3)の回答から各国の特徴が浮かび上がりました(図2)。

 日本は標準化への賛成率が最も低いです(図2の一番下の二つの点)。これは「二種類のAIが使える社会であってほしい(選択肢が減るのは嫌だ)」という反応が多いことを示しています。
 ロシアは世界優先型AIの普及に否定的でした(図2の一番左の紫の点)。つまり「どちらかのAIを選ばなければならないのなら、個人を優先するAIに普及してほしい(個人の治療に世界の耐性菌問題を持ち出さないでほしい)」という反応が多いことを示しています。
 その他の国々は図2の右上に固まって位置しています。これらの国々は日本やロシアに比べると、標準化への賛成率が高く、二者択一で世界優先型AIを選んだ割合も高いです。

図2.回答から分類する各国の特徴



【おわりに】
 抗生剤使用による耐性菌の出現・拡散という問題は、環境問題と同様に、世界中の人々が否応なく参加させられてしまう秩序問題(ゲーム)の一つと言えます。この調査ではゲーム理論の視点から、どのような医療診断AIなら普及しうるのかを考えてみました。結果から、過半数の人々が世界規模の耐性菌問題を検討するAIよりも、個人の望む治療をしてくれるAIの普及を望んでいることが分かりました。つまり抗生剤の処方を最小限にする医療診断AIが完成したとしても、そのようなAIの普及を望んでいるのは過半数に満たないため普及せず、抗生剤の過剰使用が続くのではないかと予想されます。今後悪化が予測される耐性菌問題にAIを有効活用しながら立ち向かっていくためには、このような倫理上の障壁や社会的状況を解消する議論を発展させていく必要があるかもしれません。