2026年03月03日
【概要】
総合生産科学研究科(水産学系)修士課程の加藤理子と水産学部の八木光晴准教授は、長崎県南西部沿岸に生息するウミウシ類(軟体動物腹足綱の一群)を対象に、過去50年以上にわたる生物相の変化を比較分析した結果、気候変動による海洋環境の変化がウミウシ群集に明確な形で表れていることを国内で初めて実証しました。
本研究では、1960〜1980年代の記録、2001〜2003年の調査記録、そして2023〜2024年に実施した27回のスクーバ潜水調査(写真1)データを統合し、同海域の生物多様性の変遷を検証しました。その結果、かつて一般的に観察されていた冷温帯〜亜寒帯性のウミウシ類がほぼ姿を消し、代わって熱帯〜亜熱帯性のウミウシ類の割合が顕著に増加していることが明らかになりました。
特に、最新の調査(2023〜2024年)では、確認された47種のうち55.3%が熱帯〜亜熱帯性種であり、これは20年前(42.9%)に比べ大幅な増加です。一方、50年前および20年前には記録されていた亜寒帯・寒帯性種は現在では消失し、海の生物相が「南方化」している実態が生態学的データから裏付けられました。これらの変化は、海水温異常値の上昇傾向と一致しており、気候変動が沿岸生態系に及ぼす影響を可視化する重要な事例として位置づけられます。
本研究は、2024年度公益財団法人日本科学協会の笹川科学研究助成の支援を受けて実施され、成果は2026年3月3日付で国際学術誌PeerJに掲載されました。
写真1 スクーバ潜水による調査の様子 |
【背景】
気候変動による海洋環境の変化は、日本各地で報告されています。海水温の上昇は、魚類や海藻類の分布を変化させるだけでなく、沿岸生態系の構造そのものにも影響を及ぼすことが指摘されています。しかし、長期スケールで海洋無脊椎動物の群集動態を記録し、それを科学的に比較した研究は国内外でも極めて限られています。
ウミウシ類は、特定の餌資源(海藻・カイメン・刺胞動物など)に依存すると同時に、水温や水質に敏感であることから、「海の状態を示す指標生物」として近年注目されています。一方で、観察や同定には技術と経験が必要であり、体系的なデータが蓄積されにくいという課題がありました。本研究では、長崎県沿岸地域で蓄積された過去の調査記録と、新たに行われた定期的なスクーバ潜水調査を組み合わせることで、長期比較を可能にしました。
【研究手法・成果】
本研究では、長崎県南西部沿岸に生息するウミウシ類の分布と群集構造を把握するため、2023年6月から2024年1月にかけて、月1〜2回の頻度で27回のスクーバ潜水調査を行いました(図1)。調査では、岩礁帯・砂礫域・海藻群落など、ウミウシが依存する多様な生息環境を対象とし、発見した個体は水中写真による記録および必要に応じた採集を通じて種同定を行いました。また、採集した一部の個体は研究室に持ち帰り、文献照合・近縁種判定を行い、和名・学名・分類群ごとに整理しました。
図1 ウミウシ類(異鰓類)群集の調査地点。黒丸は松林(1989)によって調査された地点を示し、青丸は川原(未発表)による調査地点、そして赤丸は本研究における調査地点を示しています。 |
この調査では、合計304個体・47種のウミウシを確認しました(写真2)。これは、同地域で2001〜2003年に記録された35種と比較して約1.34倍の種数増加に相当します。また、1960〜1980年代に記録されていた79種との比較では、過去の一部種が消失し、代わりに新たな種群が台頭しつつあることが示されました。
写真2 本調査で観察されたウミウシ類の一部。 |
さらに、今回の調査では、単なる存在記録ではなく、個体数の割合に基づく群集組成(相対優占度)を算出しました。その結果、2000年代初頭にはアメフラシ類(Aplysia属)が群集の大部分を占めていた一方で、近年では、Goniobranchus属やTritoniopsis elegans(トウモンウミコチョウ)など、インド・太平洋域に広く分布する熱帯・亜熱帯性のウミウシが急増していることが明らかとなりました(図2)。
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図2 過去(2001〜2003年)と現在(2023〜2024年)におけるウミウシの種類構成の違いを示した図。2001〜2003年と2023〜2024年に観察されたウミウシ類について、各種類が全体の中でどの程度を占めていたか(相対的な出現頻度)をヒートマップで比較しています。調査は九州西岸の辰ノ口および野母崎・赤瀬で行われました。
また、種の気候適応領域に基づく分類を行い、過去の群集との比較を実施したところ、最新調査では熱帯〜亜熱帯性種が全体の55.3%を占め、20年前(42.9%)と比べ大幅に増加していました(図3)。一方、50年前および20年前に記録されていた亜寒帯・寒帯性種は消失し、気候帯のシフト(Tropicalization:熱帯化)が進行している可能性が示唆されました。
図3 調査時期によるウミウシの「好む気候帯」の変化を比較した図。最近の調査では、寒冷な海域に分布するウミウシは見られなくなり、暖かい海域を好む種類が増えていることが分かります。調査は九州北西部の沿岸で行われました。 |
さらに、海面水温の長期時系列データ(1960〜2024年)との比較解析では、海水温の顕著な上昇傾向とウミウシ群集変化との間に強い対応関係が認められました(図4)。この結果は、生物群集の変化が偶発的な一時的現象ではなく、環境変動に伴う長期的な方向性を持つ変化であることを示しています。
図4 1960年〜2024年にかけての調査海域における年平均海面水温(SST)の偏差。各棒は、1991〜2020年の平年値からのずれ(℃)を示しています。赤色の棒は平年より水温が高かった年、青色の棒は平年より低かった年を示し、棒の高さは、水温偏差の大きさを表しています。 |
【研究者のコメント】
この研究は、過去の記録を掘り起こし、現在のデータと比較することで、時間軸を通した多様性の変化を科学的に示すことを目的として行いました。ウミウシは小さく(写真3)、普段意識されることの少ない生き物ですが、海藻・カイメン・刺胞動物など特定の餌資源に密接に依存して生きています。そのため、彼らの変化は、生態系の基盤となる環境条件の変化を敏感に反映しています。今回の調査の結果、ウミウシ群集の気候区分評価は、50年前と20年前ではそれほど変化は無かったですが、20年前と現在では大きく変化していました。南方種が増加して、寒冷種が消失していたのです。種が変わるということは、食べるもの・住む場所・海の季節のリズムすべてが変わっているということです。海は、今、人間が気づかないだけで急速にその姿を変えています。
現在、私たち(写真4)は従来の記録方式からさらに踏み込み、ライントランセクト法(一定の距離をもつ調査ラインに沿って観察を行い、生物の出現密度を定量的に評価する手法)を用いた定量的な調査・記載を進めています。この手法により、「いる・いない」にとどまらず、「どれくらいの密度で存在しているのか」、「その変化がどの速度で進んでいるのか」を数値として蓄積できるようになります。こうした小さな変化を見逃さず記録していくことは、沿岸域の生態系を理解する上で大きな意味があります。私たちが記録している“現在”は、やがて数年後・数十年後には“過去”となり、未来の研究者や社会が海の変化を検証するための基準点(baseline)になります。今回の研究が、変わりゆく海とどのように向き合い、未来の海について考えるきっかけになることを願っています。
写真3 爪先よりもずっと小さなウミウシの一種 |
写真4 加藤理子さん(左)と八木光晴准教授(右) |
【本論文のタイトルと著者】
タイトル:
A different world: temporal changes in the community structure of sea slugs (Heterobranchia) in northwest Japan spanning more than a half-century
(別世界のような変化―日本北西部におけるウミウシ群集構造の半世紀にわたる変遷―)
著者:Riko Kato, Mitsuharu Yagi(加藤理子・八木光晴)
掲載誌:PeerJ
DOI:10.7717/peerj.20870
水産環境科学研究室ホームページ:https://sites.google.com/view/yagi-lab/
