2026年03月11日
長崎大学 総合生産科学研究科 山口敦子教授らの研究チームは、有明海がアカシュモクザメSphyrna lewiniの重要な保育場であることを科学的に明らかにしました。これは北西太平洋では初めての発見です。2006〜2024年に採集された1,167個体の解析により、有明海では出生直後の新生仔が毎年確認され、奥部では0歳個体が大半を占めるなど、国際的な保育場の基準を満たすことが明らかになりました。また、高濁度・中塩分の汽水環境が幼魚の生存に寄与する一方、年間約4,800~16,000尾の幼魚が混獲されている可能性も示されており、保育場の環境保全と漁獲管理の重要性が示唆されています。
【発表のポイント】
・北西太平洋で初めて、科学的な基準に基づきアカシュモクザメSphyrna lewiniの保育場(nursery)を特定
・2006〜2024年に南西日本4海域で採集した計1,167個体の解析により、有明海では出生直後の幼魚が毎年確認され、奥部では0歳個体が88%を占めることを確認
・臍帯痕(へその緒痕)が開いた出生直後の新生仔は有明海及び橘湾でのみ確認、出産場所は有明海湾口部~奥部と推定
・幼魚は最長2年にわたり有明海の保育場に滞在
・有明海奥部に広がる高濁度・中程度の塩分の汽水環境が、捕食者の侵入を抑制する一方で幼魚の成長に有利な餌場となる
・有明海では年間約4,800~16,000尾の幼魚が混獲されていると推定され、出生数はハワイの保育場(約7,000尾/年)を上回る可能性
・有明海は、世界的な見地からも重要なアカシュモクザメの保育場であり、本種の保全には、有明海奥部の汽水環境の保全と適切な漁獲管理が不可欠
図1 有明海奥部の濁った水中を泳ぐアカシュモクザメ幼魚 |
図2 有明海の刺網にかかった幼魚(左)、船上で幼魚の計測(中)、九州西方の定置網に入った成魚(右)※Yamaguchi et al. (2026)の図を改変 |
【研究の背景】
サメ類の保全では、幼魚が成長し成体へ加入する割合に大きく寄与する沿岸の「保育場(nursery)」を特定し、保護することが重要です。しかし沿岸生態系は、開発や漁業などの人為的影響により世界的に劣化が進んでおり、保育場の喪失が海洋生物の存続を脅かしています。近年採択された国際的な生物多様性の枠組み(昆明・モントリオール生物多様性枠組:30by30等)でも、生物学的に重要な海域の特定と保全が強調されています。
アカシュモクザメSphyrna lewiniは世界中の温帯~熱帯域に広く分布します。成熟が遅く繁殖力が低いため漁業の影響を受けやすく、世界的に個体数が減少していることから、IUCNレッドリストではCR(Critically Endangered:深刻な絶滅危惧)に分類されています。
これまで保育場はアメリカ大陸やオーストラリアなどで報告されてきましたが、日本を含む北西太平洋では科学的に確認された保育場はありませんでした。
図3世界のアカシュモクザメ保育場(上)と本研究エリア(下)※Yamaguchi et al. (2026)の図を改変 |
【研究の方法(概要)】
研究チームは、2006〜2024年に南西日本4海域(有明海、九州西部沿岸、玄界灘、足摺岬周辺)で混獲されたアカシュモクザメ1,167個体を解析しました。本研究では、保育場と判定できる以下の3つの基準(Heupel et al., 2007)を検証しました。
(1) 新生仔の出現頻度が高い
(2) 新生仔が長期滞在する
(3) 複数年にわたり繰り返し利用される
さらに、以下のデータを統合し、有明海奥部の保育場としての機能を評価しました。
・海域・サイズ・月別の出現状況
・臍帯痕の治癒状況に基づく出生直後の個体の識別
・脊椎骨椎体に基づく年齢推定
・0歳個体の栄養状態(肥満度、肝量指数)
・捕獲時の水温及び塩分
・エイ類駆除事業における混獲量推定
図4 アカシュモクザメ胎仔と臍帯痕(へその緒痕)がまだ治癒せず開いている新生仔※Yamaguchi et al. (2026)の図を改変 |
【主な結果】
1)有明海奥部が科学的に定義された「保育場」であることを実証
①臍帯痕が開いた出生直後の新生仔は有明海および橘湾のみで確認され、最も多く出現したのは有明海②生後3〜6か月で湾外へ移動する個体がいる一方、最長で2歳まで湾内に留まる個体も確認
③19年間にわたり毎年0歳個体が確認され、継続的に利用されていることが判明
これらの結果から、有明海奥部の浅海域は、科学的に定義された条件を満たす「重要な保育場(critical nursery)」であると結論づけられた。
2)成長段階による生息場所の違い
・有明海奥部:0歳の幼魚が中心で大型個体はほとんど出現しない
・湾口:10歳以上の大型成熟雄が出現
・橘湾・玄界灘:有明海を出た幼魚が滞在
・足摺岬周辺:成熟途中の中間サイズ、年齢の個体が出現
→アカシュモクザメは成長段階に応じて日本南西部の海域を使い分けていることが示唆。有明海は出産・保育場、太平洋沿岸は成熟前の数年間の回遊場として利用されている可能性が示唆。
3)保育場の形成には汽水域の環境(濁度・塩分)が鍵
・有明海で0歳個体の漁獲時に計測した塩分は25.9〜32.8の範囲にあり、1歳以上の個体はそれよりも高塩分(概ね30以上)の水域で漁獲(水温には大きな違いはない)
・漁獲時の濁度は未測定ながら、保育場と特定した奥部は有明海に特有の環境から他の内湾域に比べて極めて高濁度であることが知られる。
・湾口付近で採集したアカシュモクザメ成熟雄の胃内容物からは、新生仔が見つかった
→中程度の塩分がアカシュモクザメの成魚を含む大型捕食者の侵入を抑え、幼魚の捕食リスクを下げる可能性があり、有明海奥部の特異な汽水域環境の重要性があらためて明らかになった。また出生後に速やかに奥部へ移動できるかどうかが生存率に影響する可能性も示された。
4)有明海奥部は高い機能を備えた保育場
・出生直後の新生仔は空胃率が高く、母体由来のエネルギーに依存している可能性
・栄養状態の指標から、有明海の餌環境はハワイの保育場より良好である可能性
5)保育場で大量の幼魚が混獲されている現状
・エイ類駆除事業の調査から、年間4,837〜16,115尾(平均9,761尾)の幼魚が混獲
・商業漁業による混獲も存在し、実際の漁獲数はさらに多い可能性
【社会的意義と今後の展開】
本研究では、有明海を北西太平洋で初めて確認されたアカシュモクザメの保育場として位置づけ、減少が著しい本種の北西太平洋系群ならびに全球的な保全に貢献可能な科学的根拠を提示しました。
本種の保育場は、有明海単独ではなく、日本の太平洋岸や台湾などとの回遊・遺伝的な“つながり”の中で機能します。今後は国際連携を含め、回遊経路や集団構造の解明を進めます。
一方、有明海の保育場では、その独特かつ広範囲に及ぶ汽水域環境の回復と維持の意義が示されました。今後は有明海奥部の干潟域やその流域管理が不可欠です。
加えて、本種は有明海生態系のトッププレデターであり、極めて重要な生態系機能を担っていることが明らかになりつつあります※。本種の生物学的理解を深めることは、地域の生態系の保全に直結すると同時に、本種の地球規模での保全・管理戦略の立案に貢献します。
※環境研究総合推進費;「トップダウンによる生態系機能を活用した新たな干潟管理手法の提案:水産資源回復と生物多様性保全の両立を目指して」(2022~2024年度、研究代表者:山口敦子)
【山口敦子教授のコメント】
身近にある海が、実は地球規模で重要な役割を持つ水域であることは、普段の生活の中ではなかなか気づくことができません。しかし、その海を科学的に知ることが、環境を守るための第一歩になります。アカシュモクザメのように長い寿命をもち、沿岸と沖合を大規模かつ複雑に回遊するサメの生態解明は容易ではありません。今回の研究では、長年にわたり各地域の漁業や駆除事業などで混獲されたサメを丁寧に調べてデータを積み上げていくことで、有明海に、世界的にも重要なアカシュモクザメの“保育場”があることを初めて示すことができました。
サメは日本では“厄介もの”と見られる傾向がありますが、駆除すべき厄介ものだと科学的に証明された例はありません。それよりも、生態系の頂点に立つ捕食者として、水産資源を含めた生態系のバランスを保つ重要な役割を担っています。サメがいなくなると食物網のつながりが絶たれます。そして、知らず知らずのうちに生態系の安定性が失われ、一見関係なさそうな水産資源の減少や特定の種の増加など、思いもよらぬ変化を引き起こす可能性があるのです。
一方で、有明海では幼魚が強い漁獲圧にさらされていることも明らかになりました。今後は現場の漁業者の方々らと協力しながら、混獲削減や適切な放流方法の普及を進めていく必要があります。また、日本各地や台湾、中国等を含む北西太平洋全体での回遊や個体群のつながりを解明するため、国内での連携と同時に国際共同研究を推進していきたいと考えています。
【論文情報】
タイトル:
Ecological function of the Ariake Bay as a scalloped hammerhead shark (Sphyrna lewini) nursery in the northwestern Pacific
著者:
Atsuko Yamaguchia, Yoshimi Oginoa, Kojiro Haraa, Masayuki Nakamurab, Mao Watanabec, Keisuke Furumitsua
a長崎大学総合生産科学研究科、bマリンワールド海の中道、c高知県水産振興部土佐清水漁業指導所
掲載誌:Global Ecology and Conservation
掲載予定:2026年 Vol.67(早期オンライン版公開中)
DOI:10.1016/j.gecco.2026.e04127
【謝辞】
この研究は、各地の漁業関係者や市場関係者をはじめ長崎大学水産学部の海洋動物学研究室諸氏の長きにわたる協力の下、文部科学省および日本学術振興会の科学研究費助成事業、基盤研究(B)(No. 23380112, 19H02977)、基盤研究(C)(No. 20580205)、挑戦的萌芽研究(No. 26660161)、環境省・(独)環境再生保全機構の環境研究総合推進費(JPMEERF20221003・JPMEERF24S12303)の助成を受けて実施されました。
