2026年09月08日
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科(薬学系)医薬品情報学分野の松本眞氏、高山理紅氏、川上茂教授らと、同研究科(医学系)脳神経外科学分野の松尾孝之教授、日宇健准教授の研究グループは、脂質ナノ粒子上の抗体配向を制御した新しい抗体提示型mRNA送達LNPの開発に成功しました。
mRNAをがん細胞へ効率よく届けるためには、がん細胞だけを見分けて運ぶ仕組みが重要です。本研究では、HER2陽性がん細胞を認識する抗HER2抗体「トラスツズマブ(※1)」に着目しました。従来は、トラスツズマブを脂質ナノ粒子(LNP)(※2)表面に取り付けても、向きが不揃いになるため、HER2を効率よく認識できないという課題がありました。そこで研究グループは、トラスツズマブのHER2認識部位がそろって外側を向くように配置する技術「配向性制御型高親和性ナノ粒子システム(ORIENT-HANPS)」を用いることで、がん細胞へのmRNA送達効率を高める抗体提示型mRNA送達LNPを開発しました。
この技術は、独自に設計した FcBP HFQ脂質(※3)を用いて抗体の向きを制御するものです。トラスツズマブを表面につけたmRNA(※4)/LNPは、HER2(※5)を高発現するがん細胞に対する結合性において、mRNA由来タンパク質の発現量をつけていないLNPと比べて100倍以上向上させました。さらに、モデル動物の腫瘍内では、mRNA由来タンパク質の発現量がついていないLNPの30倍以上に増加しました。
mRNA医薬をがん治療へ応用するためには、壊れやすいmRNAを保護するとともに、目的の細胞へ選択的に届ける技術が不可欠です。本研究成果は、抗体の高い標的認識能を最大限に活用してmRNAをがん細胞へ届けるための新たな技術であり、HER2陽性がんを対象とするmRNA治療やがん免疫療法への応用が期待されます。
本成果をまとめた論文は、欧州薬科学連合(EUFEPS)の公式学術誌「European Journal of Pharmaceutical Sciences」に掲載されました。
図1)配向性制御型脂質(FcBP HFQ脂質)を用いた抗体整列型mRNA/LNPの調製法:抗体の標的認識部位を外向きにそろえてLNP表面へ提示する ORIENT HANPS 技術 |
図2)HER2高発現がん細胞への結合性向上。トラスツズマブ修飾LNP(黒)は未修飾LNP(白)と比べて100倍以上高い結合性を示しました(縦軸:対数目盛)。 |
図3)担がんマウス腫瘍内におけるmRNA由来タンパク質の発現量(トラスツズマブ修飾LNPは未修飾LNPの30倍以上 |
【本研究成果のポイント】
• 抗体のFc領域をつかむFcBP-HFQ脂質を用いて、トラスツズマブのHER2認識部位を外向きにそろえたmRNA封入LNPを作製
• HER2高発現SKOV-3細胞における細胞会合性とmRNA由来タンパク質発現量は、未修飾LNPの 100倍以上向上した
• SKOV-3担がんマウス腫瘍内では、mRNA由来タンパク質発現量が未修飾LNPの30倍以上、非特異抗体修飾LNPの約10倍となった
• 抗体の種類を変更することで、さまざまな標的細胞へmRNA医薬を届ける汎用的技術への発展が可能
【背景・着想】
mRNAは細胞内で目的のタンパク質を一時的に作らせることができ、ワクチンだけでなく、がん免疫療法や遺伝性疾患治療への応用が進んでいます。しかし、mRNAは体内で分解されやすく、そのままでは細胞内へ入りにくいため、脂質ナノ粒子(LNP)に封入して届ける必要があります。一般的なLNPは肝臓に集まりやすく、標的細胞を自ら識別する機能を持たないことが課題でした。
抗体修飾は標的認識能を付与する有望な戦略ですが、抗体をランダムな向きで結合させると、標的認識部位が粒子側を向いて隠れ、抗体本来の機能が十分に発揮されない可能性があります。研究グループはこれまで、抗体のFc領域に結合するペプチドを備えた FcBP-HFQ脂質を開発し、抗体の向きを制御してLNP表面に提示する「方向制御型抗体修飾」を研究してきました。本研究では、HER2を認識する治療用抗体トラスツズマブを用いて、HER2高発現がん細胞へmRNAを選択的に送達できるかを検証しました。
【主な成果】
• FcBP-HFQ脂質を1.0 mol%導入したLNPは、抗体修飾後も粒子径のばらつきが小さく、均一なmRNA封入粒子を作製可能
• 単一粒子解析(NanoFCM)では、検出されたLNPの 47.7% にトラスツズマブ由来蛍光が確認され、抗体修飾が成立した
• SKOV-3細胞では、トラスツズマブ修飾LNPの細胞会合性が未修飾LNPの100倍以上高かった
• HER2遮断実験では、過剰量の遊離トラスツズマブにより細胞会合性が 約1/10 に低下し、HER2依存性が確認された
• mRNA由来タンパク質発現量は、SKOV-3細胞で未修飾LNPの 100倍以上、非特異抗体修飾LNPの 20倍以上向上した
• HER2低発現MDA-MB-231細胞では増強効果は認められず、明確な細胞選択性を示した
• SKOV-3担がんマウス腫瘍内では、トラスツズマブ修飾LNPが未修飾LNPの30倍以上、非特異抗体修飾LNPの約10倍のタンパク質発現を達成
【今後の展開】
本成果は、HER2陽性乳がん・胃がん・卵巣がんなどに対し、治療用タンパク質や免疫活性化因子をコードしたmRNAを選択的に届ける技術として期待されます。また、使用する抗体を変更することで、HER2以外の分子を発現する細胞を標的とした応用も可能です。
なお、本研究は腫瘍内投与による概念実証であり、今後は静脈内投与後の腫瘍集積性、治療効果、安全性について検証を進め、全身投与に適したDDS製剤へ発展させる必要があります。
本研究は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業(課題番号:23K17479)、公益財団法人 喫煙科学研究財団および公益社団法人 日本薬学会 長井記念薬学研究奨励支援事業の助成を受け実施されました。
【論文情報】
掲載誌:European Journal of Pharmaceutical Sciences
論文タイトル:FcBP-HFQ lipid-mediated trastuzumab modification of mRNA-loaded lipid nanoparticles enhances delivery to HER2-expressing cancer cells
著者:Makoto Matsumoto, Riku Takayama, Chiemi Matsuguchi, Haruki Shimada, Tatsunori Izumi, Naoya Kato, Ayaka Matsuo-Tani, Hikaru Nakamura, Takeshi Hiu, Takayuki Matsuo, Hidefumi Mukai, Shigeru Kawakami
DOI:10.1016/j.ejps.2026.107645
オンライン公開日:2026年8月18日
【用語解説】
※1 トラスツズマブ:細胞の表面に存在し、増殖に関わるタンパク質(HER2)に結合する治療用モノクローナル抗体。HER2陽性がんの治療に用いられています。
※2 脂質ナノ粒子(LNP):脂質からなる微小な粒子。体内で分解されやすいmRNAを包み込み、細胞内へ届けるために用いられます。新型コロナウイルスmRNAワクチンにも使用されています。
※3 FcBP-HFQ脂質:抗体のFc領域に結合するペプチド(FcBP)を組み込んだ、研究グループ独自の脂質です。標的を認識する部位を外側へ向けた状態で、抗体をLNP表面へ提示できます。
※4 mRNA(メッセンジャーRNA):細胞内でタンパク質を作るための設計図となる分子。目的のタンパク質を一定期間作らせる医薬品への応用が進んでいます。
※5 HER2: 乳がん・胃がん・卵巣がんなどの一部で高発現する受容体型チロシンキナーゼ。細胞増殖シグナルを活性化し、がんの進行や悪性度の上昇に関与します。
