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多文化社会学部設置記念式典学長式辞

2014年07月02日

  各界からのご来賓の皆様のご臨席を賜り、本日、長崎大学「多文化社会学部」設置記念式典を挙行できますことは、長崎大学にとって大きな喜びです。人文社会系新学部「多文化社会学部」の誕生は長崎大学の長年の夢の実現であり、長い大学の歴史のなかで確実に一線を画するマイルストーンと言えます。

  江戸末期の1857年、オランダ人医師のポンぺ・ファン・メルデルフォールトと幕臣の松本良順により開設された医学伝習所に端を発する本学は、1945年8月9日の原爆被爆という試練を経て、1949年に、旧制長崎医科大学、長崎高商、長崎師範などが糾合され新制大学として再構築されました。しかしながら、我が国のリベラルアーツの源流とされる旧制高校が長崎には存在しなかったため、新制長崎大学は文学、法学、理学といったリベラルアーツの核を欠失したままスタートし、今日に至ったのです。実学に偏った構成のなかで、熱帯医学・感染症、放射線健康リスク、海洋環境資源分野に代表される個性あふれる教育研究の系譜が形成されてまいりました。しかし、この間、総合大学としてリベラルアーツへの渇望が消えることはありませんでした。その夢が、今日 、「多文化社会学部」という形で実現したのであります。
  日本の西崖、西の端に在って、東シナ海の彼方に直接大陸を望む国際都市、長崎。そこには、出島を介して日本のゲートウエイとしての機能を果たした江戸時代に始まり、原爆被災を経て、現代に至る鮮烈な記憶があります。熱帯医学・感染症、放射線健康リスク、海洋環境資源など、長崎大学の教育研究の個性は、まさに長崎という土地の風土や歴史にその基盤を有しています。そして、そのような地域の個性と、真正面から向き合う学問分野が人文社会系であります。
  今や、ヒト・モノ・カネが国境を越えて超高速で行き交い、SNSをはじめとする情報ネットワークが地球を覆いつくしています。地球は縮小の一途をたどっている、そういっても過言ではありません。そのなかで、社会の構造は大きく変容しつつあります。一極集中から多極化へとトレンドが変化し、多様性(diversity) という価値観が大きな意味を持つ時代となったのです。
  私は日本において、地方が有する多様な個性こそが、新しい未来を拓く鍵を握っていると思います。アカデミック・セクターにおいても然りです。「多文化社会学部」は長崎という地域の窓を通して、多文化が触れ合い、せめぎ合い、そして協働する国際社会と向き合う学部です。日本で唯一、オランダの言語、文化、歴史、社会を包括的に学ぶことのできる「オランダ特別コース」も設けました。「多文化社会学部」は、間違いなく長崎大学を代表する新たな個性となります。
  今、国立大学に改革を求める社会からの圧力が新たな強まりを見せています。18歳人口の激減、バブル崩壊以降の経済の長期低迷、東日本大震災と福島原発事故の衝撃――などがその背景にあります。一方で、これは新たな価値観の創造と次世代人材の育成を担う大学に対する、社会の大きな期待の現れにほかなりません。
  これからを担う若者に要求されるのは、欧米発のグローバルスタンダードを単にキャッチアップするだけではなく、地球上のあらゆる現場で、あらかじめ答えが準備されていない課題に果敢に挑み、解決に導くことのできる資質です。卓越した専門家としての知識や技術に加えて、「世界共通言語としての英語を含めたコミュニケーション力」、「自ら学び、調べ、議論し、決断し、行動することのできる主体的学修能力」などの基盤的素養を身に着けなければなりません。そのために、日本の大学教育は今、大きく変わろうとしています。長崎大学も例外ではありません。
  「多文化社会学部」には過去のしがらみがなく、ゼロから新しい教育を構築することができます。入学試験にも、カリキュラムにも、教育手法にも、学生指導にも、これまでの国立大学には類例のない新しいチャレンジが、この学部には満載されています。そこには、社会からの大学教育改革の要請に対する、長崎大学の明確な回答を示しています。

  今年4月、栄えある「多文化社会学部」第一期生99名が入学しました。北海道から沖縄まで、全国の23都道府県から集結した精鋭たちです。偏差値の定まらない、実績ゼロの新しい学部を敢えて選び、入学してきた新入生たちの目の輝きは、さすがに違います。皆、志に溢れ覇気に満ちた 若者たちです。これから4年間の多文化社会学部での学びを通して、彼らが破格の英語力と多文化理解力そして現場力と行動力を身に付け、個性あふれる日本発グローバル人材のロールモデルとなることを心より念願しています。

  「多文化社会学部」の誕生までの道のりは決して平坦なものではなく、多くの皆様のご支援、ご協力なしには有りえませんでした。実は「多文化社会学部」は、2004年の国立大学法人化以降では全国で初めて、すなわち約10年ぶりに設置された国立大学の新しい学部です。誕生までには、文部科学省高等教育局法人支援課には何度も足を運び相談に乗っていただきました。最初は突き放され、いなされもしましたが、最後は価値観を共有していただき、知恵も絞っていただき、強力に背中を押していただきました。また、ラーディンク・ファン・フォレンホーヴェン駐日オランダ特命全権大使閣下には、中央の高いレベルで学部設置にご尽力いただきました。この記念式典で基調講演をお引き受けいただいた寺島実郎先生には、学部構想の初期段階からさまざまな貴重なアドバイスをいただきました。
  地域の皆様の応援も忘れることはできません。長崎の産学官のトップで構成する「長崎サミット」のメンバーの皆様には文部科学大臣あての学部設置要望書をしたためていただきました。そして、長崎大学教職員の理解と協力です。「多文化社会学部」の学生定員100名と教員ポスト40名を、既存の学部から供出することで、初めて、新しい学部の設置が可能になったのです。この場をお借りして、「多文化社会学部」の誕生にご支援ご尽力賜りましたすべての皆様に、深甚よりの感謝を申し上げたいと存じます。

  最後に、「多文化社会学部」が、この国の新しい学士課程教育のパイオニアとしての役割を果たすよう、教職員、学生ともども奮闘努力することをお誓いするとともに、4年後、大きく成長した第一期生が、長崎発グローバル人材として世界に大きく羽ばたく日に思いを馳せ、ごあいさつといたします。

平成26年6月26日
長崎大学長 片峰 茂


※記念式典の様子は「多文化社会学部設置記念式典を挙行」をご覧ください。

各界からのご来賓の皆様のご臨席を賜り、本日、長崎大学「多文化社会学部」設置記念式典を挙行できますことは、長崎大学にとって大きな喜びです。人文社会系新学部「多文化社会学部」の誕生は長崎大学の長年の夢の実現であり、長い大学の歴史のなかで確実に一線を画するマイルストーンと言えます。

 

江戸末期の1857年、オランダ人医師のポンぺ・ファン・メルデルフォールトと幕臣の松本良順により開設された医学伝習所に端を発する本学は、194589日の原爆被爆という試練を経て、1949年に、旧制長崎医科大学、長崎高商、長崎師範などが糾合され新制大学として再構築されました。しかしながら、我が国のリベラルアーツの源流とされる旧制高校が長崎には存在しなかったため、新制長崎大学は文学、法学、理学といったリベラルアーツの核を欠失したままスタートし、今日に至ったのです。実学に偏った構成のなかで、熱帯医学・感染症、放射線健康リスク、海洋環境資源分野に代表される個性あふれる教育研究の系譜が形成されてまいりました。しかし、この間、総合大学としてリベラルアーツへの渇望が消えることはありませんでした。その夢が、今日 、「多文化社会学部」という形で実現したのであります。

日本の西崖、西の端に在って、東シナ海の彼方に直接大陸を望む国際都市、長崎。そこには、出島を介して日本のゲートウエイとしての機能を果たした江戸時代に始まり、原爆被災を経て、現代に至る鮮烈な記憶があります。熱帯医学・感染症、放射線健康リスク、海洋環境資源など、長崎大学の教育研究の個性は、まさに長崎という土地の風土や歴史にその基盤を有しています。そして、そのような地域の個性と、真正面から向き合う学問分野が人文社会系であります。

今や、ヒト・モノ・カネが国境を越えて超高速で行き交い、SNSをはじめとする情報ネットワークが地球を覆いつくしています。地球は縮小の一途をたどっている、そういっても過言ではありません。そのなかで、社会の構造は大きく変容しつつあります。一極集中から多極化へとトレンドが変化し、多様性(diversity という価値観が大きな意味を持つ時代となったのです。

私は日本において、地方が有する多様な個性こそが、新しい未来を拓く鍵を握っていると思います。アカデミック・セクターにおいても然りです。「多文化社会学部」は長崎という地域の窓を通して、多文化が触れ合い、せめぎ合い、そして協働する国際社会と向き合う学部です。日本で唯一、オランダの言語、文化、歴史、社会を包括的に学ぶことのできる「オランダ特別コース」も設けました。「多文化社会学部」は、間違いなく長崎大学を代表する新たな個性となります。

今、国立大学に改革を求める社会からの圧力が新たな強まりを見せています。18歳人口の激減、バブル崩壊以降の経済の長期低迷、東日本大震災と福島原発事故の衝撃――などがその背景にあります。一方で、これは新たな価値観の創造と次世代人材の育成を担う大学に対する、社会の大きな期待の現れにほかなりません。

これからを担う若者に要求されるのは、欧米発のグローバルスタンダードを単にキャッチアップするだけではなく、地球上のあらゆる現場で、あらかじめ答えが準備されていない課題に果敢に挑み、解決に導くことのできる資質です。卓越した専門家としての知識や技術に加えて、「世界共通言語としての英語を含めたコミュニケーション力」、「自ら学び、調べ、議論し、決断し、行動することのできる主体的学修能力」などの基盤的素養を身に着けなければなりません。そのために、日本の大学教育は今、大きく変わろうとしています。長崎大学も例外ではありません。

「多文化社会学部」には過去のしがらみがなく、ゼロから新しい教育を構築することができます。入学試験にも、カリキュラムにも、教育手法にも、学生指導にも、これまでの国立大学には類例のない新しいチャレンジが、この学部には満載されています。そこには、社会からの大学教育改革の要請に対する、長崎大学の明確な回答を示しています。

 

今年4月、栄えある「多文化社会学部」第一期生99名が入学しました。北海道から沖縄まで、全国の23都道府県から集結した精鋭たちです。偏差値の定まらない、実績ゼロの新しい学部を敢えて選び、入学してきた新入生たちの目の輝きは、さすがに違います。皆、志に溢れ覇気に満ちた 若者たちです。これから4年間の多文化社会学部での学びを通して、彼らが破格の英語力と多文化理解力そして現場力と行動力を身に付け、個性あふれる日本発グローバル人材のロールモデルとなることを心より念願しています。

 

「多文化社会学部」の誕生までの道のりは決して平坦なものではなく、多くの皆様のご支援、ご協力なしには有りえませんでした。実は「多文化社会学部」は、2004年の国立大学法人化以降では全国で初めて、すなわち約10年ぶりに設置された国立大学の新しい学部です。誕生までには、文部科学省高等教育局法人支援課には何度も足を運び相談に乗っていただきました。最初は突き放され、いなされもしましたが、最後は価値観を共有していただき、知恵も絞っていただき、強力に背中を押していただきました。また、ラーディンク・ファン・フォレンホーヴェン駐日オランダ特命全権大使閣下には、中央の高いレベルで学部設置にご尽力いただきました。この記念式典で基調講演をお引き受けいただいた寺島実郎先生には、学部構想の初期段階からさまざまな貴重なアドバイスをいただきました。

地域の皆様の応援も忘れることはできません。長崎の産学官のトップで構成する「長崎サミット」のメンバーの皆様には文部科学大臣あての学部設置要望書をしたためていただきました。そして、長崎大学教職員の理解と協力です。「多文化社会学部」の学生定員100名と教員ポスト40名を、既存の学部から供出することで、初めて、新しい学部の設置が可能になったのです。この場をお借りして、「多文化社会学部」の誕生にご支援ご尽力賜りましたすべての皆様に、深甚よりの感謝を申し上げたいと存じます。

 

最後に、「多文化社会学部」が、この国の新しい学士課程教育のパイオニアとしての役割を果たすよう、教職員、学生ともども奮闘努力することをお誓いするとともに、4年後、大きく成長した第一期生が、長崎発グローバル人材として世界に大きく羽ばたく日に思いを馳せ、ごあいさつといたします。

 

平成26626
長崎大学長 片峰 茂
長崎大学について