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長崎大学と感染症

2010年05月21日

長崎と感染症との因縁の始まりは,江戸時代にさかのぼります。その時代,長崎は日本で唯一世界に向けた窓であったことから,コレラや天然痘,重症の風邪など本来日本にはない外国からの感染症は先ず長崎から流行が始まり,日本中に拡がったのです。一方で,これら感染症の予防や治療のための西洋医学の最新技術も長崎から日本中に普及しました。「死の病」と恐れられた天然痘を予防するワクチン(種痘)が,1848年にドイツ人医学者モーニッケにより長崎に伝えられ,多くの日本人に福音をもたらしたことはよく知られています。ちょうどその時期(1857年)オランダ人医師ポンペが長崎医学伝習所を開設し,それがやがて長崎医科大学そして現在の長崎大学へと変遷・発展の途をたどることになったのです。

長崎が感染症との深い因縁を持つもうひとつの背景は,その地理的・地政学的特性にあります。長崎県は五島,壱岐,対馬をはじめ大小さまざま多数の島々をかかえています。この島嶼域を中心に,古くはフィラリア症などの寄生虫病が猛威を奮い,近年にいたってもB型肝炎や成人T細胞白血病(ATL)などのウイルス病の濃厚な流行が存在しました。長崎大学の創成期から長年にわたり,感染症は大学の医学者や地域の医師たちの最重要課題であり続けました。

そのような中,長崎大学は1942年より本格的に感染症に関する研究を開始し,1946年に風土病研究所が設置され,地域の感染症(風土病)との戦いが始まりました。そして,保健行政と連携した医学者たちの献身的努力により,1960年代までには,長崎県そして日本中の寄生虫病はほぼ制圧されたのです。

その頃から,アジアやアフリカの途上国に,研究者たちの目が注がれることになります。そこでは寄生虫病,マラリア,下痢症などさまざまな感染症が猛威を奮い,乳幼児を中心に多くの人々が犠牲となっていたのです。

1967年,風土病研究所は熱帯医学研究所(熱研)と改称し,本格的に,研究の軸足を海外に移すことを決断しました。熱研には多くの熱帯への志に燃えた異才たちが全国から集結し,さまざまな途上国の研究現場に雄飛していきました。以来,熱研は日本の熱帯医学研究を中心的に担っていくことになります。
2005年には長年の悲願であった常駐型の研究拠点をケニアとベトナムに設置し,10人規模の本学教職員がそれぞれに常駐し,現地の人々と協力しながら,感染症克服に向けた研究に日々まい進しています。

熱研以外でも,医学部や歯・薬学部の多くの研究者によって,さまざまな感染症に関する先端的基礎研究や臨床研究が強力に推進されています。いまや長崎大学は,日本では他の追随を許さない研究陣容と経験を擁し,国内外に名をとどろかす感染症の教育研究拠点となっているのです。

いま,人類は新たな感染症の脅威に直面しています。新しい感染症(新興感染症)の出現です。この30年で,エイズ,サース(SARS),狂牛病(BSE),高病原性インフルエンザなど多くの感染症が新たに出現し,私たちを恐怖に陥れています。新興感染症の多くは動物の世界で維持されていた病原体が,ヒトの世界に侵入してきたものです。これは森林開発により人間と動物の出会いの頻度が飛躍的に増大したことなどの人為的な要素が大きな原因となっています。また,交通手段の発達により,ヒトやモノが国境をこえて超高速で往来する世の中になりました。世界の何処かで発生した感染症が瞬時に世界中に伝播してしまうのです。2003年のSARSの流行,昨年末からの新型インフルエンザの流行を思い起こしてみてください。

もう一つ重要な点は,これら新しい病原体はヒトの体内で極めて凶暴にふるまう場合が多いことです。エイズやサース(SARS)のように患者の致死率が高いものが多く,今後も次々と新しい病原体が出現し,人類を悩ませつづけることは確実です。それは,ここまで文明を発展させた人類の宿命といってよいのかもしれません。

近未来に,ヒトに対する感染力が極めて強く凶暴な病原体が我々の前に現れ,人類の存続すら危うくする事態を想定することは,あながち小説や映画の世界だけの話ではないのかもしれません。私たち人類はそれに対する備えを講じておく必要があると思います。ワクチンや診断・治療薬を開発するための研究体制の整備は最も重要な備えのひとつなのです。

病原体はその危険度のレベル(バイオセイフティーレベル;BSL)に応じて4つのグループに分類されます。エボラウイルスや天然痘ウイルスなどは最も危険度の高いBSL-4に分類されます。ちなみにエイズウイルスやインフルエンザウイルスはBSL-3です。このBSL分類に応じて,その病原体を取り扱える研究施設の構造が決められています。BSL-4の病原体は極めて厳重な封じ込め構造を持つBSL-4施設でしか取り扱えません。

ところが,日本ではBSL-4施設は一ヵ所も稼動していません。先進国のほぼ全ての国や南アフリカ,インド,台湾にBSL-4施設があり,中国でも建設が進んでいます。このままでは,日本の感染症研究は世界に遅れをとり,BSL-4の感染症が侵入した場合の国家の危機管理の観点からも由々しき問題です。

いま,私はこの長崎の地にBSL-4施設を設置する可能性について考え始めています。BSL-4施設の管理・運営には,病原体を適切に取り扱える知識と熟達した技術が必要です。豊富な感染症研究の蓄積と研究者陣容を誇る長崎大学は,それを担う資格を有する数少ない研究機関です。もちろん,施設の建設と維持には地域の皆さんのご理解,ご支援が全ての前提になります。BSL-4施設設置の可能性について,長崎大学の教職員,行政当局,そして長崎市民の皆さんとともに考えてみたいと思います。

平成22年5月21日
長崎大学長
片峰 茂

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