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東日本大震災1周年にあたって

2012年03月11日

東日本大震災1周年にあたって

はじめに

 平成23年3月11日の東日本大震災から丸1年が経過しました。あらためて犠牲となられた皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。いまだ、多数の行方不明の方々が存在し、被災地の復興は緒に着いたばかりです。被災地は、いまなお癒えることのない悲しみと多くの困難の只中にあります。長崎大学は、これからも被災地に変わることのない思いを馳せ、エールを送り、そして被災地とこの国の復興の一翼を担い続けるべく決意を新たにしています。 

長崎大学にとってのこの1年

 過ぎてしまえば時の経つのは速く感じますが、この1年間は、私たち個々の日本人にとっても、大学にとっても、この国にとっても、確実に重く、苦しく、そしてきわめて重要な意味を持つ月日であったと思います。長崎大学は、震災直後に被災地救援に全力を上げることを決断し、大学病院や熱帯医学研究所の教職員を中心とした医療の専門家チームが福島県と岩手県で医療支援活動を展開しました。水産学部の練習船「長崎丸」は緊急出航し、緊急援助物資を福島県小名浜港と岩手県宮古港にいち早く届けました。そして現在も、昨年7月に福島県立医大副学長として出向した山下俊一教授を中心とする本学教員が、福島県民の将来にわたる被曝健康リスク管理というきわめて重要な役割を果たそうとしています。長崎大学の支援活動は、長年にわたって本学が蓄積してきた「現場に強い大学、危機に強い大学,行動する大学」という個性が表出したものと思います。苦難に満ちた1年間でしたが、長崎大学にとって、大学自身がこの個性を自覚し再認識する機会を与えてくれた貴重な時間であったと思います。

科学と社会

 大学が依って立つ基盤である科学や科学技術についても、多くのことを考えさせられた1年でした。マグニチュード9.0、観測史上世界最大級の揺れと津波や、追い打ちをかけた東京電力福島第一原子力発電所の重篤な事故を、多くの科学者たちは当初“想定外”という言葉で表現しました。科学が営々として創造し蓄積してきた知恵と技術やその粋を集めた構造物が、自然の力の前にはいかにちっぽけで脆弱なものであったのかを思い知らされたが故の虚脱感や挫折感が言わしめた言葉であったのだと思います。しかしながら、20世紀の科学の急速な進歩がもたらした豊かさや便利さを享受し、科学に全幅の信頼を置いてきた一般市民にとっては、この“想定外”発言は裏切り以外の何物でもなかったのです。さらに、原発事故直後の情報公開の混乱やさまざまな"専門家"による情報発信により、市民の科学や科学者に対する不信感が増幅されることとなってしまいました。そして、科学者たち自身の中にもニヒリズムが蔓延しかけた時期すらあったのです。
 一方で、見逃されがちなのですが、今回の大震災に際して現代科学が大きな貢献を果たしたことも事実です。例えば、情報ネットワークにより伝えられた地震発生情報を受信したJRの制御システムは瞬時に作動し、地震波到達の数分前までに走行中の全ての新幹線を停めてみせました。情報工学、情報システム科学、制御工学の特筆すべき成果です。また、土木工学の成果として作られた様々の防災構造物が、不十分だったかもしれませんが、減災には一定の役割を果たしたことも間違いありません。それが無ければ、犠牲者の数ははるかに大きいものになったかもしれないのです。
 「人間は、自然の中で最も弱い一本の葦にすぎない。しかし、それは考える葦である。これを押し潰すのには宇宙全体が武装する必要はない。一つの毒気、一つの水滴も、彼を殺すに十分である。 しかし、宇宙が彼を押し潰すときも、人間は彼を殺すものよりも高貴であろう。なぜならば、人間は自分が死ぬこと、宇宙が力において自分に勝ることを知っているからだ。宇宙はそれを知らない。だから我々の尊厳は考えることにある。」パスカルの「瞑想録(パンセ)」の一節です。人間が“考える葦”であるのならば、科学することは人間の本質を形成する営為であると解釈することができます。実際、そのことによってこそ、人類は宇宙の中で営々と生き永らえ、これだけの繁栄を築くことができたのです。被災地の復興にも、原発の事故処理にも、科学は決定的に重要な役割を果たさなければなりません。今こそ、科学者はニヒリズムと決別し、科学に対する社会の信頼の回復に全力を注ぐ必要があるのです。
 ただ、科学をめぐる社会環境が時代とともに変容していることを忘れてはいけません。科学は本質的に科学者の個人的興味や自由な発想に基づくものであり、その成果が結果として、世の中の進歩への貢献につながるというのが科学と社会の旧来の関係であったのです。ところが、いまや市民社会が科学に対する強大なステーク・ホルダーに変容し、一方で科学には、“社会的存在”として目的意識的に社会の進歩に貢献するイノベーションを創出し続けることが求められています。科学や科学技術が進歩し、人間社会に及ぼす影響力が大きくなればなるほど、科学自身が本来内包する不確実性が、きわめて重大な結末をもたらす可能性が膨らみます。今回の原発事故は、そのことを如実に示したといえるでしょう。科学の不確実性とそれが社会に及ぼす負の影響を的確に予測し最小限に制御することが、今後の科学に課せられる重要な課題となりそうです。
 科学への信頼を回復し、その不確実性の暴発を制御するために為すべきこと、それは科学が即物的ニーズ(金儲けなど)ではなく、社会やその中に在る人間の本質的なニーズに真剣に寄り添うことであるように思います。そこでは、科学者と社会の密接なコミュニケーションが決定的に重要な役割を果たします。科学者自身が平易な言葉で科学を社会に語る術をもっと磨く必要があります。そして、事後の説明(事故経緯の説明、研究成果の発表など)にとどまらず、これからは事前のコミュニケーション(研究計画立案段階での説明)にも力を注ぐべきでしょう。上流における社会に対する科学の説明責任です。

 変革の時代の大学

 それにしても、東日本大震災と原発事故、その後の事故対応や復興対応、そしてそれらをめぐる様々な論考は、この国が現在置かれている危機的状況を白日の下に曝し、それを日本人一人ひとりに問答無用に直視させる契機となりました。1990年代初頭のバブル崩壊以降、世界の構造転換を背景に日本の相対的地位は低下し、国の債務は膨らみ、低迷する経済は出口の光を見出せません。政権交代は実現したものの、政治も混迷したままです。戦後の高度成長を実現した既存のシステムや価値観が完全に破綻し、時代が未知の領域に突入しようとしていることを、この1年で皆が感得してしまったのです。
 このように変革が待望される時代、困難を克服し未知の領域を切り拓くべき時代には、一人ひとりが、この国の進むべき道筋や、その中で自らが為すべきことについて、諦めずに、空気に流されることなく、そして真剣に、自分の頭で考えることが要求されます。多様な個性から迸(ほとばし)る様々なアイデアや知恵や行動の中から、必ずや将来に光を放つブレイクスルーが生み出されるはずです。そして、アカデミアとしての大学の責任はますます大きくなります。新しい価値観=ブレイクスルーの創造や、創造・発見を現場に適用するための実践科学の重要性は言わずもがなですが、何よりも自分の頭で考えることのできる知力・創造力と行動力・突破力を兼ね備えた次世代人材の育成が喫緊の最重要課題として問われることになります。そして、地域のシンクタンクとして、市民とともに考え、学び、発信する、地域に開かれたキャンパスとしての大学の再構築も、まったなしの課題です。

 おわりに〜強固な意志で楽観論を語ろう〜

 数カ月前のある新聞に掲載された東日本大震災復興会議議長を務められた五百旗頭真(いおきべ・まこと)さんの論説の中に、「この国に内在する復興バネを働かせるために、今こそ強固な意志で楽観論を語ろう」という一節を見つけ、大変強い感銘を受けました。そうです。ともすれば内向きに陥りがちな今の日本全体の精神状況の中で最も重要なこと、それは「楽観論を語る」ことなのです。
 長崎大学は将来に向けて大いに楽観論を語りたいと思います。その楽観論が意味を持つための必須の要件、それは若者たちの目の輝きです。未来を担う学生や若手研究者たちが目を輝かして夢を語り、本気になって勉学に研究に課外活動やボランティア活動に遮二無二打ち込みだせばしめたものです。それを実現するために、考えられるあらゆる方策を講じたいと考えています。
 この国は、これまでも多くの災厄、困難に直面しながら、その都度それを乗り越え、新たな発展局面に転化することに成功してきました。近代以降に限っても、明治維新、日清・日露戦争、敗戦後の高度経済成長、阪神淡路大震災などがすぐに頭に浮かびます。この「復興バネ」は、長い歴史を通して日本人の中に先駆的記憶として内在しているはずです。自らを信じ、将来に向けて「楽観論」を語り、そして強固な意志の力で前に進めば、今回もこの内在する「復興バネ」が必ずや起動するに違いありません。それがこの国の未来に光をもたらすことにつながるのです。

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